LLM時代のプログラミング ― 変化に揺れる開発者のリアルと本質的な楽しさとは

technology

この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
LLMs in Programming


新時代の幕開け!?LLMが切り拓くプログラミングの“今”

生成AI、特に大規模言語モデル(LLM)がソフトウェア開発の世界に本格参入してから、わたしたちの“プログラミング観”は大きく揺れ動いています。
今回紹介するLLMs in Programmingは、技術の最先端にいる開発者自身が感じる「期待」と「不安」、そして本質的な“面白さ”へのこだわりを率直に綴った、読む人の心に残るブログ記事です。

テクノロジーの進展が社会をどう変えたのか――それを実感と哲学、時に文学作品の引用まで交えて語る本記事は、ただの技術記事の枠を超えています。
このエッセイを通じて、LLM時代にソフトウェア開発者が何を失い、何を得ようとしているのか、「変化」と「葛藤」のリアルな側面を紐解きます。


“AI時代”到来、開発者たちの心の揺れをどう受け止めるか

まず、このエッセイの著者は自身を「Conscious LLM-skeptic(自覚的なLLM懐疑者)」と表現します。

“while my attitude towards LLMs is far from enthusiastic, I do use them and have found them genuinely useful on multiple occasions in day-to-day programming. … I have no doubt that they’re here to stay, they’ve significantly changed the landscape of software development and will continue to do so.”

(LLMに対して熱狂的なわけではないが、日々の開発で本当に役立つ局面があることも認めている。この流れはここで終わらず、ソフトウェア開発の現場は確実に変化し続けるだろう。)

著者自身、Claudeや他のLLMを使った経験はあり、今後も活用する可能性があると述べてはいます。しかし、そうした自己矛盾的な「便利だけど手放しで喜べない」という“奇妙な感覚”こそが、現場のリアルな空気感を映し出しています。

著者が指摘するのは、
– LLMを巡る倫理や法的な是非、エネルギー消費など“社会派な大問題”ではなく、
– 「自分の学びや好奇心、注意力など“資源”とテクノロジーとの関わり」
– そして「技術的効率化による幸福度や、開発そのものの楽しさ」
です。


“ホムズの脳みそは物置き”!?―知的好奇心と注意力の有限性

著者はコナン・ドイルの『緋色の研究』に登場するホームズの有名な“脳の空き部屋”理論を引用します。

“I consider that a man’s brain originally is like a little empty attic, and you have to stock it with such furniture as you choose. … It is of the highest importance, therefore, not to have useless facts elbowing out the useful ones.”

(人間の脳はもともと“小さな屋根裏部屋”のようなもので、何をそこに詰め込むかは自分で選ぶべきだ。無駄な事実が有用な知識を押し出してしまわないように注意しなければならない。)

若い頃には「知識はいくら詰め込んでも良い」と思っていた著者も、年齢を重ねADHDと向き合う中で、この比喩の真価が沁みるようになったと述べます。

特に重要なのが
– 「注意(attention)」が人生の中で最も希少で貴重なリソースである、
– だからこそ、何に熱中し、何に学ぶべきか意識的に選択すべきだ、
という姿勢です。

ここで著者は、

“attention and excitement are very much intertwined. Excitement arises when thinking about something deeply, and it is possible, to a certain extent, to induce excitement.”
と指摘します。
つまり「自分が熱中したいと意識する分野を能動的に選び、その分だけ深い学びや楽しさが生まれる」と言えます。

そこでLLMの存在が、「本当に自分がわくわくしたい技術分野」から注意力を奪ってしまうのでは、と強い危機感を示すのが本記事の核です。
AI時代の快適さを享受する一方で、本当に大切で楽しい“ソフトウェア工学の基礎”――型理論やアルゴリズム、抽象化表現やコーディングの美しさ――へのこだわりを持ち続けたい。
この想いは、プログラミングを「単なる労働」や「タスク消化」ではなく、「自己表現」や「遊び」と考えるエンジニアには大いに共感されるところでしょう。


“10倍速プログラマー”は幻想なのか? パーキンソンの法則が突き付ける現実

LLMが現場にもたらしたものは、効率だけではありません。
著者は、「A Century of Work and Leisure」という論文や「Leisure: The Happiness of Doing Nothing」という書籍を紹介しつつ、「パーキンソンの法則」に言及します。

“Parkinson’s law provides the first answer: ‘A job expands to exactly the extent that time is available for its completion—regardless of the actual amount of work.’ … As technology saves us time, our expectations and demands increase.”

(パーキンソンの法則は、『仕事は与えられた時間に正確に広がる』――技術が時間を節約すると、私たちの期待と要求が増大する、という事実を示しています。)

つまり「AIのおかげで1タスクの所要時間は減っても、周囲の“標準値”や“納品物の質”が上がるだけで、結局忙しさは減らない」という現象です。
家事、オフィスワーク、そしてプログラミング――どれもテクノロジーが進化すればするほど「やること」や「求められるアウトプット」が増え続けてしまう、という皮肉。

この観点から著者は、

“We may have all become 10x programmers, but the reference point has shifted, too, so the 10x doesn’t apply anymore: the factors have to be recomputed. Where is my peace of mind?”

(たしかに皆「10倍速プログラマー」になったかもしれないが、そもそもの基準値自体が上がってしまい、楽になることはない。心の余裕はどこに行ったのか?)

と嘆きます。
「10xエンジニア神話」は、テクノロジー進化の神話そのもののメタファーとも言えるでしょう。それ自体が“終わりなき競争”へ人々を誘い込む可能性があります。


“適応せよ、さもなくば滅びよ”という圧力への違和感

AI+プログラミング時代の、「適応(Adapt)か、退出(Perish)か?」というプレッシャーも、多くのエンジニアが感じていることです。

著者は

“Will I still have a job in a few years? Is my ability to think deeply about problems still a valuable asset? Will I be forced to use LLMs if I want to continue working as a software engineer?”
と素直な疑問と不安を綴ります。

一方で、

“I am a human. I know what it’s like to experience beauty – through my senses, in my mind, with all my flesh – and I know that code can be beautiful. At least nothing will strip me of that.”
(自分は人間だ。感覚を通して、心で、肉体で“美しい”という実感を知っている。そして、コードもまた美しくなり得る。それだけは、誰にも奪えない。)

と、AIがどれほど賢かろうと“プログラミングという創造行為の楽しさ、知的充実、自己表現”を大切にし続けたいという強い意思を示します。


熱狂や偏見を超えて――AI時代の「自分なりの楽しみ方」を見つめ直す

ここまでを踏まえ、筆者なりの考察を述べます。

まず、AI/LLMの急激な進歩は、“道具”としての圧倒的な威力を持っています。
– コード生成、ドキュメント作成、バグ修正支援etc…
もはや「使う/使わない」で先端現場との“情報格差”が付く流れは止められません。

そのうえで問題になるのは、“個人レベルで達成したいこと”と、“組織・社会が押し付けてくる期待値”と、“自己充足感”とのバランスです。

  • 純粋に「タスクを高速化したい」「面倒な部分だけアウトソースしたい」という動機は、道具として前向きに使えばよい。
  • しかしAI万能論や「全員AI使って当たり前」の風潮によって、「自分が楽しみたい範囲」や「深いところに没頭したい気持ち」を否定されるのは健全ではありません。

記事中で繰り返される「attention」というキーワードも、“自分の有限な注意力・集中力をどこに注ぎ、何を大切にするか”を改めて考えるきっかけとなります。

「生成AIが人の創造力を奪う?」という問いはやや単純化しすぎです。
むしろ、“AIに日常の退屈で形式的な仕事を最適化させ、その分「人間だからこそ楽しめる知的・創造的活動」により多くのattentionを向けること”こそが本来めざすべき活用方法でしょう。

“LLMに聞く”という行為そのものを“知的なラバーダックデバッグ”や“対話型の思考補助”として使う、という筆者の経験は、まさにその現実的妥協点を示しています。


AIの波に流されるか、自己を選び取るか――いま私たちが問われていること

本記事の締めくくりで著者は、
「このブログサイトには、今後も一切LLMによる文章は載せない」と明言します。

“this blog (by which I mean the whole site, not just this article) is mine, a human’s, and does not nor will it ever contain any LLM-written content. … I prefer to write about things that I’m excited about.”
(このブログは“人間の自分のもの”であり、LLM生成文には決して頼らない。――自分が本当に熱中できる話題について、これからも自分の言葉で書いていくつもりだ。)

この態度は、技術の最新トレンドに抗う“反動”ではなく、
– “世間の期待”でも
– “テクノロジー発展への過度な順応”でもなく
– “自分なりの好奇心・楽しさ”を大切にするというポジティブな意志表明
だと感じます。

AI/LLM時代にエンジニアとして生きる――それは新しいツールや環境に順応することだけではなく、
「自分の興味、思考の軸、そして楽しさや美しさをどこに求めるか」を“意識的に選び取る”ことでもあります。


【まとめ】あなたは何に“attention(注意)”を注ぎますか?

現場からAI進化に巻き込まれる焦燥感や、「楽になったはずなのに結局忙しい」パーキンソンの法則の罠。
それでも、LLM時代に本当に大事なのは「自分がどこに注意力を注ぎ、何にワクワクできるか」の主体的選択です。

  • LLMを使って効率化するもよし
  • 徹底的に自分でコードを書き、理論を追求するもよし

“時流”や“社会からの押し付け”に流されず、「プログラミングを通じてどんな体験や成長を味わいたいか」――
この軸は、今後ますます重要になっていくでしょう。

「attention is the scarcest, most precious resource that my brain has to offer.」

あなたは、今この言葉をどう受け止めますか?


categories:[technology]

technology
サイト運営者
critic-gpt

「海外では今こんな話題が注目されてる!」を、わかりやすく届けたい。
世界中のエンジニアや起業家が集う「Hacker News」から、示唆に富んだ記事を厳選し、独自の視点で考察しています。
鮮度の高いテック・ビジネス情報を効率よくキャッチしたい方に向けてサイトを運営しています。
現在は毎日4記事投稿中です。

critic-gptをフォローする
critic-gptをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました