この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
I Built a 6 BIPS JIT in Five Months
- これは「たったひとりがAI協業で現代JIT設計を刷新した記録」だ
- 驚異のプロジェクト概要「紙ナプキンのISAから数十億命令/秒のJIT」(引用あり)
- ひたすらSimple & Safety――現代的“ミニマルISA”の力学
- 「まず正しさ、次に最適化」:ソフトウェアエンジニアリングの王道
- ステージ投入最適化(block chaining・superblock・レジスタキャッシュ)の妙
- AIは“実行の加速装置”――設計力の本質は残る
- 「安全×高速は両立できる!」――予想を覆したパフォーマンス
- ソフトウェア“4コーナー論”とミニサンドボックスの価値
- ハードウェアとの新たな“連続体”発想
- 批判的考察:「小さく・正しく・確定的」を突き詰める価値と限界
- 結論:AI時代の開発“核”は設計哲学にある
これは「たったひとりがAI協業で現代JIT設計を刷新した記録」だ
ここで紹介するのは、Steven氏による「一人でAIを使って5ヶ月で6 BIPS(ビリオン命令/秒)級のJIT(Just-In-Time)エミュレータをゼロから作り上げた」という驚きの開発記録です。
舞台となるのは、「SLOW-32」というまったく新規設計の32ビットRISCスタイル命令セット(ISA)と、それを動かすためのJITコンパイラ&開発ツールチェイン全般。
JIT、エミュレーションの技術的な挑戦や意欲的設計だけでなく、
AI活用の実際(どう使い、何がAIにできて人間が設計に集中できたのか)、
安全性・性能両立の要諦、
そして「小さく早く正しく積み上げる」正攻法アプローチの威力――
といった、多くの実践的な学びにあふれた記事です。
本稿では、その要点を引用しつつ、
エミュレーション技術やAI協業時代のソフトウェア設計の示唆、
従来の主流手法との違いとその意義、
リアルタイム・セキュリティ・パフォーマンス設計のトレードオフなど
複数の観点から解説・考察します。
驚異のプロジェクト概要「紙ナプキンのISAから数十億命令/秒のJIT」(引用あり)
冒頭で著者は次のように述べています。
“At the end of August I sketched a 32-bit RISC-y instruction set on a napkin. Five months later I’m sitting with a JIT backend that runs a real CSV validator at hundreds of megabytes per second and a compute microbenchmark at nearly six billion guest instructions per second. That feels surreal, because this kind of project — a custom ISA, a full LLVM-targeting compiler toolchain, a runtime, and a multi-stage dynamic binary translator — used to be a multi-year program inside a funded team.”
「8月末、私はナプキンに32ビットRISC風ISAをメモした。5ヶ月後には、CSVバリデータを数百MB/s、計算ベンチを60億命令/秒で動かすJITが手元にある――従来なら資金付きチームで数年がかりの仕事だったのに」と語るのです。
実際、記事全体を概要するだけで一大プロジェクト分の壮大さ。
しかしポイントは、単なる意欲作ではなく、
「JIT高速化・検証ツールまで全自作/全公開」
「AIの実践投入で時間的ボトルネックを突破」
「ソフトウェアサンドボックスの新たな設計論」
など、多方面で“今しか成立し得ない”画期性が詰まっています。
ひたすらSimple & Safety――現代的“ミニマルISA”の力学
SLOW-32の設計哲学
「SLOW-32」はRISC-Vに発想を得た、超シンプル構成の32ビット命令セットです。
- 定型32ビット命令、汎用32レジスタ、加算/論理/比較/分岐/ロードストア完備
- 浮動小数点(f32/f64)は専用レジスタ無し、ペア化GPR格納
- MMIO(輪バッファ×1)、割り込み無し、自己修正コードやスレッドも無し
一方、「ないもの」は…
– 例外無し、RTTI無し、仮想メモリ無し、スレッド無し、自己変更コード無し
著者はここに強くこだわります。
“These are deliberate omissions. Every feature you leave out is an invariant you can exploit later. A W^X code region means the JIT can assume code pages are immutable — which makes block caching and direct branch chaining both safe and cheap. No exceptions means every instruction either completes or the machine halts. No self-modifying code means translated blocks never go stale.”
「意図的な不在だ。放棄するごとに新たな不変条件が得られ、安全・低コストに最適化へ導ける――W^X(実行権と書き込み権の排他)でコード不変を保証、例外無しで確定的動作、自己修正排除でキャッシュ不整合も皆無」と喝破しています。
ハードウェア・ソフトウェア両面で設計時の“あいまいな自由度”を極限まで減らすことで、
「正しさ追求→高速化の安全な飛躍」
という理想論を、現実の最適化に生かしている点が非常に重要です。
「まず正しさ、次に最適化」:ソフトウェアエンジニアリングの王道
著者は“Correctness-First”――つまり「正しさ第一主義」を徹底しています。
“Before writing any JIT, I built a plain interpreter. … Every hour invested in correctness infrastructure paid back tenfold during optimization, because when a JIT stage introduced a subtle bug — and they all did — I had an oracle to test against. … That loop converges in minutes, not days.”
「JITを書き始める前に、まず愚直なインタプリタを作り、千単位の差分テストを用意。“正しさインフラ”への1時間投資が最終的に10倍報われた――JITバグが入ったら逐次差分検証で即座に特定・解消。テストサイクルが“数日→数分”に短縮された。」
これは、最先端AIやハードウェアアーキテクチャよりもむしろ「地味で堅実なテスト駆動開発」の再発見に近いアプローチです。
限定した動作保証・確定的な振る舞いを持つ仕様を作り上げることで、
JITなど複雑な高速最適化フェーズでも、
“安心して大胆な改良”が積み上げられる――
これは小規模開発、AI協業時代を生きる最強の武器になります。
ステージ投入最適化(block chaining・superblock・レジスタキャッシュ)の妙
本プロジェクトのJITは「いきなり凄い最適化」ではなく、
ごく原始的バイナリトランスレータ(1blockごと機械的翻訳)から、
– blockキャッシュ・direct chaining
– superblock拡張(先読み型翻訳最適化)
– 高度なレジスタキャッシュ、peephole最適化
と“段階的に小技を重ねていく”スタイルを取ります。
この分割構成で特筆に値するのは、各段階で必ず「正しさインフラと比較しながら部分検証できる」という点です。
- block chainingでdispatcher経由のジャンプを無くす(パフォーマンス激増)
- superblock拡張でホットループを長大な直列命令フローとして捉え、レジスタ配置効率・冗長命令除去の自由度増
- グローバルレジスタキャッシュで実メモリアクセス激減
この積み上げ方により、「大規模な飽和最適化が個人開発でも成立する」ことを証明しています。
AIは“実行の加速装置”――設計力の本質は残る
AIによる自動化はどこまで役立ったのか?
著者はとてもリアルな手ごたえを共有します。
“I built this with Claude … The AI did enormous amounts of mechanical work: writing emitter functions for each instruction, generating test cases, producing delta patches against the codebase, iterating on build system changes. …”
「AI(Claude)は膨大な機械的作業――命令エミッタ全実装、テストケース生成、パッチ適用、ビルドシステム調整――を担った」。
しかし続きます。
“But the AI did not design the staged architecture. It did not decide to enforce W^X to enable safe block caching. … Those were human decisions based on decades of reading about JIT compilers, CPU architecture, and systems design.”
「だが、アーキテクチャ設計や最適化方針はAIにはできない。そこは人間のバックグラウンド・判断力が不可欠だ。」
つまり“設計の核心”はあくまで人間が担い、AIは時間的ボトルネックを取り除き爆速イテレーションを可能にするサポーター
「やりたかったが、実装コストで諦めていたアイデアが現実になった」と強調されます。
「安全×高速は両立できる!」――予想を覆したパフォーマンス
特徴的なベンチマーク値について、著者はこう明言します。
“The DBT runs pure compute at 5.9 billion guest instructions per second — on a 3.6 GHz processor, that’s roughly 1.6 guest instructions per host clock cycle. … The DBT is 5x faster than QEMU TCG on compute and 3x faster on the I/O-bound CSV workload. QEMU is a serious, battle-tested emulator; beating it by this margin on a custom ISA is not something I expected.”
「QEMUのTCG(成熟したJITエンジン)相手に計算系で5倍、CSV実プログラムで3倍の速度。安全域(バウンドチェック・W^X)でもオーバーヘッドは2%しかない。この“安全=遅い”という常識が実は過去のものとなりつつある事実は極めて重要です。
実際、CSV解析処理でネイティブに肉薄(68%)しつつ、
安全サンドボックス動作のまま“1コアで351MB/s”というため息ものの性能。
これは「安全×高速は原理的に両立困難」という通説を覆す、設計・技術両面の大きな証左だと言えます。
ソフトウェア“4コーナー論”とミニサンドボックスの価値
記事後半では「プログラミング環境の選択肢」という問題に切り込みます。
“Every programming environment picks its tradeoffs, and the mainstream options occupy three corners of a design space:
C/C++ gives you speed and simplicity … but it’s dangerous.
C#/Java gives you safety and a productive development experience … But you lose predictability.
Rust gives you both speed and safety through the borrow checker. But it’s not simple.
SLOW-32 occupies a fourth corner: simple, fast enough, sandboxed, but restricted. … The sandbox is so small and so cheap that crashing doesn’t matter. A SLOW-32 instance can be as small as 4 KB. Spawn a thousand of them. If one faults — … — kill it and restart. … Just a disposable microcontroller that happens to run on your existing CPU at billions of instructions per second.”
C/C++(高速・シンプルだが危険)、C#/Java(安全だが予測困難)、Rust(高速・安全だが複雑)に対し
SLOW-32は「シンプル・十分に速く・小さなサンドボックス型」の“第4の解”を提唱。
「壊れたら即再起動すればよいスケーラブルな使い捨てマイコンサンドボックス」の思想が、
現代の大規模隔離型ソフトウェア(クラスタ・サーバレス・IoT等)設計と強烈に共鳴します。
取捨選択(機能削減)が、むしろ軽量サンドボックス用途に本物の強みを生むという洞察は
現代セキュリティ設計や「ファンクション単位の実行分離」が要請される領域で大きな示唆を持ちます。
ハードウェアとの新たな“連続体”発想
さらに驚くべき点は「設計したISAが“FPGA〜x86-64 JIT”間で全く同じバイナリとして機能し、
しかも現代CPUのパワーで“異常な高速化”が自ずと得られる」という技術視点です。
“SLOW-32 was designed to be implementable on an FPGA. … At the other end, a Ryzen running at billions of instructions per second with nondeterministic timing — good for throughput. … The question isn’t “FPGA or CPU.” The question is “what execution properties does this workload need?” and then you put the binary on the substrate that provides them.”
「FPGAでもそのまま載るほどシンプルなISA」と「超最適化JITでレイヤー間コストを極限まで消す」ことで
設計者は“どの環境で動かすか”を実行主体の要件で選べる。
これは「計算資源多様化時代のISA設計の方向性」を体現する先端的姿勢です。
批判的考察:「小さく・正しく・確定的」を突き詰める価値と限界
SLOW-32/JIT方式の現時点での限界も著者は正直に語ります。
- I/O経路は依然メモリコピー(mmap直接アクセスなネイティブに完全には及ばず)
- 決定論的リアルタイム性(FPGA専用分野)はJITには困難
- 本格的な全体最適化(LLVMレベル)は非対象外
これらはサンドボックス用途には十分すぎる性能を持ちつつも
“全方位最適”や“最先端OS/組込など極限用途”では更なる知恵と追加設計が必要であることを意味しています。
一方で「全範囲模倣で満足するのでなく、やりたいことを可能な限り“単純な不変条件付き”で高効率実現、
高速かつ安全なサンドボックス領域で新たな選択肢を生み出す」
――この狙いは、実用的かつ理想主義的な現代ソフトウェア設計の重要方針と評価できます。
結論:AI時代の開発“核”は設計哲学にある
記事の最後で著者はこう訴えます。
“The mechanical cost of implementation — writing boilerplate, generating test cases, iterating on builds — has collapsed. What remains, and what matters more than ever, is the human contribution: architectural clarity, correctness discipline, staged design, and the judgment to know which optimization matters next. … The constraint is no longer mechanical effort. The constraint is knowing what to build, and having the discipline to build it right.”
「もはや実装作業という制約はAIで消滅しつつある。
残る制約は“何をどう設計するか”の決断と設計原則、そして正しく作るための知見そのものだ」と結ばれます。
読者への示唆
今や、スケーラブルな小型サンドボックス、AI協働による加速開発、
安全×高速両立など、現代的なソフトウェア設計は“人間の設計力”次第で到達可能領域が激変しました。
既存OSやサーバレス環境設計、IoTや組込、クラウドインフラ、セキュリティ基盤――
どんな領域でも「安全なミニマルサンドボックス」的なアプローチは
新たな性能・信頼性・保守性解へつながるかもしれません。
もしあなたが「挑戦したいだが、実装工数が……」とアイディアを寝かせているなら
“何を作るか”を突き詰めて設計し、
AIや段階的検証を味方に、自分なりの“小さく速い大きな一歩”を踏み出してみてはいかがでしょうか。
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