この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
Higher Ed’s Dirtiest Secret
まさかの現実!「教員の質」こそ大学教育最大のタブーだった
大学の教育現場に、本当に「信じられるデータ」は存在するのでしょうか。
今回紹介する記事は、アメリカの高等教育を30年間内側から見てきた著者が、驚きの事実として「大学の授業や教員の質について、客観的なデータがほとんど存在しない」ことを激しく指摘しています。
しかも、その現状は一部の超名門校を除いて「年々悪化している」とさえ述べています。
「大学は教員・講義の質を保証しない。なぜなら運用可能な定義そのものがないからだ。ほとんどの大学で”教育の質”を約束する仕組みも実態も存在しない」
という内容には、教育を受ける側としても、送り出す側としても背筋が寒くなるものがあります。
明かされる構造的な問題──「教育クオリティ計測の闇」
著者は問題の本質を以下のように述べています。
“There is no way for anyone to know how good or bad teaching is, beyond anecdotes. …I estimate that except for very elite private institutions, well over half of university instruction across the U.S. is fair to poor. Perhaps 25% is good and 5% is excellent.”
すなわち、現場を体験した個人的な語りや口コミを超える、エビデンスとしての「授業の質」データがない中、名門校を除いて「良くて25%、優れているのはわずか5%」という衝撃的な推計なのです。
どうして制度としてこうした「質の可視化・保障」が疎かになってしまうのか?
著者は次の三つの構造的な要因を挙げています。
1. 大学自体には質の定義・測定を促すインセンティブがなく、そもそも本格的な調査・評価に真剣に資金を投じてこなかった
2. 教員側も、自らの授業が厳しく評価・開示されることを望まない
3. 世間の大学批判者が、教育の質ではなくイデオロギー(例:リベラルor保守的か)や文化戦争にばかり目を向けてきたため、本質的な「質」論争が後回しになった
実際、大学の「マーケティング」や宣伝では「少人数制」「有名教授」「質の高い教育」と曖昧には謳いますが、個々の授業・教員ごとのクオリティを保証したり測定したりすることは、どこもやっていないと断言します。
教員評価の“落とし穴”──学生満足度がダメな理由
読者の皆さんも「先生の授業評価アンケート」に覚えがあるかもしれません。
しかし著者によれば、現在一般的に使われるStudent Evaluations of Teaching(SETs)は、「授業の質」ではなく単に「満足度」や「好ましさ(likeability)」を測っているだけで、実際の学習成果とはほぼ無関係というのです。
“SETs are designed to measure satisfaction, not quality. …Uttl, White, and Wong (2016) found little or no correlation between SET scores and objective learning outcomes.”
この指摘の根底には、「人気」「易しさ」がスコアを押し上げ、逆に厳しい(質が高い)授業ほど不評になりやすい、という構造的な問題があります。
しかも学生評価は、ジェンダーや人種、担当教員のキャラクター、成績の付け方など「学習成果とは無関係なバイアス」を含みやすく、根本的な改善策にはなりえません。
ミクロな現場のリアル──「教育効率化」の闇と、消えた矜持
現場レベルではどうなのでしょうか。
著者自身も、内情をこう白状します。
“Over the years I have been party to quiet agreements to move poor teachers nearing retirement age out of rotation… I’ve had to hire barely qualified lecturers because an unexpected surge of enrollment meant warm bodies were needed on short notice… I have been asked more than a dozen times over the years to hire and give teaching assignments to unqualified lecturers solely because they are married to star professors the university wants to retain.”
要するに「“質”<ガワ(見た目や都合)の維持」ばかりになっているわけです。
教育効率・予算・政治的配慮が、本来の「学び」の質よりも優先されるこの現実。
「大量に授業をこなす非常勤講師や大学院生」「経営的な理由で採用される教員」など、真剣な教育コミットは後回しにされがちになっています。
極論として著者は「多くの大学では教員の個人技(職人芸)が重要視されず、“効率”で置き換えられている」とも指摘し、電子化・オンライン化(大量生産モデル)への移行が教育の質にどう影響するか、強い危機感を持っています。
データの無さはなぜ危険か?──「AI教師時代」を目前に
注目すべきは、AIの進展がもたらすインパクトです。
著者は次のように警告します。
“Artificial Intelligence is already a “good enough” teacher. …If universities continue to charge premium tuition for sub-par human instruction that is inferior to a $20/month AI subscription, the market will collapse.”
AIの台頭により、大学の「教員ブランド」「人間らしさ」が単に抽象的であるだけでは生き残れない時代が来ているのです。
知識伝達や基礎定着はむしろAIが高効率・高コストパフォーマンスで提供できてしまう。
そんな中、いまだ教員ごとの力量も、教える内容も、学生に開示・保証しない──これでは「大学で学ぶ意義」そのものが崩壊しかねません。
では、何をもって大学教育に価値が残るのか?
著者は「教えの質」“only thing left that is worth paying for” ─ 「対面人間教師“ならでは”の価値(問いかけ・フィードバック・メンタリング)にこそ意味がある」と明言しています。
が、そのためには「誰が高質な教員なのか」を大学自身が“認定・測定・可視化”する本気の仕組みが不可欠だと訴えています。
本当に良い教員・授業とは?エビデンスが語るリアル
大学が「質の測定・保証」を怠るなか、著者は独立研究者らによるいくつかのデータを紹介しています。
たとえば、
“A 2008 study by Carrell and West of students at the US Air Force Academy… found large, statistically clear differences across professors.”
“A 2013 study by Figlio, Schapiro, and Soter found that the distribution of teaching quality is not about rank but the individual.”
つまり同じ学校・同じシラバスでも、教員個人の力量次第で学習アウトカムに大きな差があることは複数の研究で実証されています。
有名大卒、有資格、在職年数ではなく、あくまで「現実に知識伝達とスキル習得を達成できる」教員こそ高品質なのです。
さらに、米国では「質が高い教育実践(アクティブラーニング、構造化フィードバック)」の有用性は広く認知されており、研究も蓄積しています。
しかし、それが「全教員・全授業でどの程度実践されているか」については全くデータがないというのが現状です。
大学自身も、認証機関も「質保証」はしていない現実
こうした質の測定や公開への消極姿勢は、大学自体だけでなく、「認証機関(accreditation)」にも見て取れます。
たとえばNWCCUはFAQで、
“institutional or specialized accreditation ‘cannot guarantee the quality of individual graduates or of individual courses within an institution or program, but can give reasonable assurance of the context and quality of the education offered.’”
と明記しています。
現実には“プロセス保証”や“学習成果の観察”程度に留まり、「この授業・この先生は質が保証されている」と正面から謳う大学は皆無です。
改革への提言──「質を測定せよ」に何が必要なのか
記事の最後で著者は大学、自身、政策立案者、保護者たちに対し「透明性の確保」「質実証のための投資」「エビデンスをベースにした本格的な教員評価システム」導入の急務を訴えています。
“It is time to measure, reward, and guarantee teaching quality, because it is the only thing left that is worth paying for.”
今後真の「質保証」を大学教育が社会に対して示すには――
・「学習成果ベース」で教員ごと・授業ごとに評価(主観的満足度や学歴肩書でなく、実質的アウトカムで)
・利用者(学生・保護者)への指標の可視化・情報開示
・高質な教員集団を大学全体で特定・支援・活用
・入学者・保護者・納税者への“選択の透明性”提供
が必須と言えるでしょう。
日本の高等教育も他人事ではない──教育改革への示唆
ここまで読んで「これはアメリカの話」「日本は違う」と感じる方も多いかもしれません。
しかし、実は本記事の問題意識は、日本の大学にも強く当てはまります。
日本でも「講義評価の可視化」「教員の教育力公表」「教育成果の第三者検証」は如実に遅れており、授業担当者・学科・大学間での格差も大きいとされます。
「教育現場のオープンデータ化」は一見ハードルが高いですが、入試や進学・就職時のミスマッチ抑止、そしてAI登場時代の“大学ならでは”の人間的価値(指導・共同探究)の再定義には不可欠です。
また、記事が繰り返し批判する通り、「キャンパス政治」や「形式的な多様性保証」をめぐる議論ばかりに大学が熱中していると、本質である「学びの質」改善が疎かになり、結果的に信頼と存在意義の失墜につながってしまいます。
終わりに──「責任ある教育の質」を日本社会へ
学問・教育の「ブランド」や「名門イメージ」が先行するだけで、
本質的なアウトカムや教員の実力が見えない体制は、いずれ崩壊します。
AI時代、「知識伝達」だけでは大学も教員ももはや競争力を持ちません。
大事なのは「人間教師にしかできない」深い対話・指導・フィードバックと、
それを全学・全教員で“誰ができているか”を、組織・社会として責任持って把握し、公表し、磨き続けること。
あらゆる高等教育関係者(そして学生・保護者・社会市民)にとって、
この記事が「教育現場の本質」に目を向け、未来のあるべき学びを再考するきっかけとなれば幸いです。
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