「料理と帝国」が問い直す、食の歴史を動かしたモノ・コト・思想とは?

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この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
Review: Cuisine and Empire, by Rachel Laudan


意外な“馬と餃子”でひもとく食のグローバル史とは

本記事は、Rachel Laudanの歴史的大著『Cuisine and Empire: Cooking in World History』をレビューしつつ、料理は単なる材料や技術の集合ではなく、「文化」と「思想」の結晶であるという観点から、食のグローバルな歴史的展開を論じています。

冒頭、筆者はあるモンゴル系移民が営むレストランの思い出から話を始めます。
オフィス街にある何気ないデリが、夜はモンゴル餃子や肉まんまでも登場する現地料理店に変貌する様子――そして、その餃子(ブーズ)は、グルジアのヒンカリやトルコのマンティ、ロシアのペリメニにも姿を変え、広大なユーラシア史の布石となっている、と語ります。
この現象こそ、歴史・帝国・食文化のダイナミクスを象徴的に物語る具体例として提示されます。


“レシピ”ではなく“哲学”の歴史として——主張と印象的な引用

筆者は「この本は材料や調理法の歴史というより、むしろ『料理という文化の束(cultural bundle)』の歴史だ」と論じます。

“Cuisine and Empire isn’t really a history of ingredients or even cooking methods, just as a history of architecture isn’t really about innovations in forestry or framing techniques. Rather, it’s a history of the entire cultural bundle we call a ‘cuisine,’ which obviously includes raw materials and ways of turning them into food, but also has a lot to do with ideas.”

この要点は、「『何を食べるか』『どう調理するか』『誰と食べるか』『なぜそうするのか』という、社会や世界観に根差した“料理哲学”こそが、食文化の核心だ」という点です。

また、印象的な古典時代の例も引用されています。

“Cooking was seen as a fundamental cosmic process, an integral part of a holistic, ordered, and hierarchical universe.”

すなわち、料理は単なる人間活動ではなく、「宇宙秩序」「文明」「統治」といった、広範な意味づけがなされていたのです。


料理哲学の進化と“自然”観の大転換——その歴史的意義

料理史の本質は「材料や道具の伝播=物質的な交流」だけではありません。
むしろ、料理や食に対する“思想”(philosophy)の変遷こそが、各時代の社会構造・政治体制・人間観そのものを映し出しています。

例えば「何が“自然”な食事か?」という価値観は、現代社会と古代・中世で根本的に異なります。
現代西洋社会では“自然”とは「なるべく手を加えないもの」(Farm-to-table等)が賞賛されますが、古代の考えでは「本来のもの」は“調理”によって引き出されるとされました。

“For the ancients, the nature of a thing was what was revealed by cooking it. …so too the backbreaking work of reaping, threshing, winnowing, milling, and baking transforms raw wheat into its true and proper form: bread. Wise governance was meant to do the same thing to people, transforming a raw brute into a civilized human being.”

ここで指摘されるのは「調理=文明化の象徴」「料理=統治や秩序の比喩」という重大な構造です。
実際、儒家の王権論でも、料理の調和に国家統治をなぞらえる逸話が引用されています。
このように、“料理観”は、そのまま“人間観・政治観”にもつながっていたという事実は、現代人にとって驚きでもあります。


「伝統料理」や「食の純粋性」は幻想? 歴史が暴く多層性と混成

さらに、記事は次のように現代の「伝統食」概念やオーセンティシティ(本物らしさ)追求への懐疑を投げかけています。

“a new culinary philosophy according to which every nation had a long-standing traditional cuisine worth exploring for its delicious taste and authenticity. (These ‘long-standing traditional cuisines’ were usually invented in the late nineteenth or early twentieth century out of spare parts from the last five hundred years of culinary history, then promulgated as representing the true soul of the nation. They’re mostly pretty tasty, though!)”

つまり、多くの「伝統料理」は近現代のナショナリズムとともに“再発明”され、「古くから受け継がれた味」として“物語化”されたに過ぎません。
これはたとえば「和食」や「フランス料理」「イタリア料理」でも同様であり、日本料理の「江戸前」「京料理」の多くも明治以降の“創作”がそのルーツだったりします。
また、料理の材料や技法は“帝国の交流”や“宗教改革・革命”的な社会変動を通じて大胆に変化し、新たなアイデンティティを構築してきたのです。


驚きの事実──“フレンチ”は一時代の生理学説から生まれた?

記事の白眉は、「フランス料理の成立」と“医学理論”の不可思議な関係です。
中世カトリックの「酸味とスパイスのバランスを重んじる料理」が、17世紀以降一気に“バター×ルー=ソース”の「フランス料理」へ変貌した理由を、筆者はこう描写しています。

“French cuisine became first the pan-European and then the global standard for fine dining. Cooks around the world Frenchified their local foods by adding vinaigrettes, mayonnaises, béchamels, and pastry, creating now-familiar dishes like pastitsio, lasagna, and beef stroganoff. And yet by the time Russia, Hawaii, and Mexico tried to adopt haute cuisine, the physiological theory that had underlain it all had long since shriveled up and died, replaced in the eighteenth century … But it didn’t matter: culinary philosophies may grow out of other ideas about the world, but then they take on a life of their own.”

この「科学理論や生理学説が料理のあり方を規定し、その後“自走”し始める」構造は、今日のサプリメント商法やビーガニズム、グルテンフリー食ブームにも繋がる現象です。
食文化とは、素材や技術のみならず、「時代ごとの世界像」に支えられた「哲学」であることがここでも強調されます。


日本や現代にも響く、料理と社会・アイデンティティの密接な関係

記事の後半には、こんな問題意識も提示されます。
サプリや「エスニック料理礼賛」・「便利さ信仰」・反大企業志向(Big Agribusiness批判)など、“食”をめぐる潮流は、単なる健康志向やノスタルジー以上の、社会変動や価値観の揺れが色濃く反映された結果なのだ――という主張です。

“The world we know is built out of human choices made for complicated human reasons, and ideas have consequences in the grocery aisle too.”

実際、現代日本でも「伝統和食」ブランドは観光戦略や健康志向と密接にリンクし、脱工業化社会とグローバリゼーションの“折衷”が複雑に絡み合っています。
例えば日本の“町おこしイベント”で提供される「ご当地グルメ」は、たいてい近代以降の工業生産品やハイブリッド料理が「伝統」として再定義されたものです。
また、「自然食・オーガニック信仰」は、一方で新自由主義的で消費者の主体性強調に利用され、他方でノスタルジーや共同体意識の回復願望と重なります。


あなたの「一皿」の裏には、数千年単位の“思想と社会”がある

こうして見ると、「料理とは何か」「食べるとは何か」といった素朴な問いの背後には、時代と社会が幾重にも重なる“哲学”や“権力”、“アイデンティティ”が深く作用しています。

材料やレシピを覚えたり、料理動画を真似たりするだけでは見えてこない、「思想としての料理史」は、現代の“食”を考える上で不可欠な視座です。
本記事のレビューを通じて、
– 個々の食卓にも国家規模のイデオロギーや価値観が反映されている。
– 「伝統」や「自然性」「ヘルシーさ」への信仰は常に歴史的・社会的構築物である。
– “料理哲学”の変容は、社会変革や経済・科学の発展、宗教的潮流と切っても切れない。

という示唆が得られます。

今手元の食材や日常の献立を、もう一度この視座から見直してみることで、食卓やレシピに新たな「意味」と「奥行き」を発見できることでしょう。
「料理とは、過去と現在、モノとコト、思想と経済、社会と個人が交錯する、最も日常的な“舞台”である」と言えるのではないでしょうか。


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