この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
Supreme Court formally asked to overturn same-sex marriage ruling
「同性婚判決の転覆」へ――歴史的訴訟の全貌
今回は、米国の同性婚に関する大きな転機となるかもしれない訴訟を取り上げます。
2015年、アメリカ連邦最高裁は、同性愛者カップルの結婚を認める歴史的判決(Obergefell v. Hodges判決)を下しました。
それから10年、再びこの判決を最高裁で覆すよう正式に求める動きが出てきたのです。
発端は、ケンタッキー州の元カウンティクラーク(郡職員)キム・デイビス氏。
彼女は信仰を理由に同性カップルへの結婚証明書発行を拒否し、一時収監されたことで全米的な注目を浴びました。
今回、彼女が損害賠償や弁護士費用を科された裁判結果を不服とし、さらに「連邦憲法修正第1条(宗教の自由)」を盾に、画期的判決自体の転覆を最高裁に訴えたのです。
「オーバーゲフェル判決は根本的に誤り」――デイビス側弁護団の主張と現状
今回の記事では、デイビス氏の弁護士であるMathew Staverによる申立て内容が紹介されています。
Davis argues First Amendment protection for free exercise of religion immunizes her from personal liability for the denial of marriage licenses.
More fundamentally, she claims the high court’s decision in Obergefell v Hodges — extending marriage rights for same-sex couples under the 14th Amendment’s due process protections — was “egregiously wrong.”
“The mistake must be corrected,” wrote Davis’ attorney Mathew Staver in the petition. He calls Justice Anthony Kennedy’s majority opinion in Obergefell “legal fiction.”
(Supreme Court formally asked to overturn same-sex marriage ruling)
これは、「憲法に反して同性婚を認める判決が行われ、正されるべきだ」という極めて強い主張です。
連邦高裁では、デイビス氏の主張は退けられており、「州職員として行った行為には憲法修正第1条の防御は適用できない」とされています。
加えて、原告である同性カップル側の弁護士William Powellは「最高裁もデイビス氏の主張に関心を持たないだろう」とコメントしています。
一方で記事は、2015年当時の状況や、現在までの社会的・政治的変化にも言及しています。
例えば、Obergefell判決の前は35州に同性愛婚禁止法があったこと、近年も9つの州で新たな反LGBTQ法案や決議が生まれていること、南部バプテスト連盟が同性婚判例の覆しを最重要課題と掲げたことなどが挙げられています。
複雑化する同性婚の今――法・宗教・世論の三重葛藤
なぜ今、10年も経過した「同性婚判決」が再び争点となっているのでしょうか。
まず、アメリカでは「憲法による権利保障」という司法の判決と、「宗教・伝統に基づく反発」という社会的・政治的潮流が激しく衝突しています。
Obergefell判決は「全米で同性婚を認める」というインパクトのあるものでした。
しかし、その後も含めて宗教右派勢力は、「信教の自由」を根拠とした“自己防衛”訴訟をあきらめていません。
実際、デイビス氏のケースは原告適格(standing)を根拠に、判例変更の主戦場に再び現れてきたのです。
現在の最高裁は「保守派(右派)」が過半数を占める体制。
これは、例えば中絶権をめぐるRoe v. Wade判決が2022年についに覆されたことからも明らかです。
多くの法学者は「判例の大転換(precedent overturn)」の可能性、そしてそれを正当化する理論(originalismやtextualismなど)の潜在的危険性を、ときに警戒しています。
また、Gallupの調査によれば、米国民の同性婚支持率は2020年以降70%付近で横ばいで、共和党支持層ではむしろ減少しているという事実も無視できません。
世論の“絶対安定”とは言い切れないのです。
今回、デイビス氏の申立ては、「中絶判決覆しの論理と同じ構造で、同性婚判決も州ごとに再び判断を委ねるべきだ」というものです。
これは、過去に連邦最高裁判事クラレンス・トーマス氏が「プライバシーや家族の権利についての判例をすべて見直すべきだ」と主張したこととも符号します。
同性愛婚を望むカップルにとっては、結婚制度が「永続的なものなのか、政治や裁判所次第で明日消えるものなのか」という不安は大きいでしょう。
なにしろ、それは単なる「権利」ではなく、「家族」「子育て」「生涯設計」といった生活の基盤そのものだからです。
「誰のための法なのか?」――私なりの考察と批評
今回の動向について、個人的には深い問題意識を感じざるを得ません。
まず、国家や社会が「法」の名のもとに与える権利が、数年ごとに政治や裁判の結果で揺れ動くことは、「法の安定性」や「基本的人権」の観点から著しく問題です。
たとえば、日本で考えてみてください。
もし内閣や最高裁判所が「明日から婚姻制度は変えます」「子の親権や相続制度を全面的に一挙に元に戻します」と宣言したら、数百万人単位の人生設計が崩壊しかねません。
さらに、多数決(世論)と憲法の関係も難しい論点です。
同性婚支持率が高いからといって、少数者の権利保障が安泰かと言えば、アメリカの歴史が示す通り“再び奪われる”瞬間は必ずやってくるものです。
一方で、宗教・信条の自由が無視されることもまた危険です。
ただし、“公的職務における個人の信条”と“公共の法益”がぶつかったとき、どこまで譲歩すべきか。
この線引きこそが国家を二分する激しい論争となっているのです。
また、記事後半に触れられている通り、仮に仮処分や判例変更が行われても、「Respect for Marriage Act(結婚尊重法)」は既存の同性婚や異人種婚を引き続き守る“保険”になっています。
しかし、その「保険」すらも、今後の政治動向次第でどうなるかは予断を許しません。
このような状況では、制度や判例の「根拠」そのものへの信頼感が社会から失われ、政治・司法への不信、対立、さらには分断がますます深まる危険を感じます。
結論:「法の安定性」と「社会的包摂」を問い直す時
本記事から示唆されることは、単なる「一つの訴訟結果」や「個人の信条 vs 公的義務」といった次元を超え、
「国家はいかにして個人の権利と公共の利益、そして宗教・伝統を調整しうるのか」という問いへと直結します。
同性婚の可否、さらには家族やプライバシーに関わる権利の根幹が、「法廷闘争」や「政権の交代」によって軽々と変更されうる社会は、果たして成熟していると言えるでしょうか。
逆に、多様な価値観の交錯が深まる現代において、私たち一人一人が「他者の権利」「自分と異なる選択」にどれだけ寛容たりうるか、それが社会の安定や持続可能性の最重要条件ではないかと感じます。
今後の最高裁の判断は、アメリカのみならず、日本を含めた世界全体の「人権」「家族」「民主主義」のあり方に、重大な波紋を投げかけることでしょう。
世論動向や法的議論を注視しつつ、私たち自身も「自分の社会をどう守り・育てたいのか」と問い直す必要があります。
categories:[society]
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