この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
Why It Matters
「なぜ重要なのか」が大流行!? その正体に迫る
最近、あらゆるウェブ記事・メール・SNS投稿のタイトルや見出しで「Why it matters(なぜ重要なのか)」というフレーズをよく目にしませんか?
もしかすると一度や二度ならず、うんざりするほど同じパターンを見かけている人も多いでしょう。
今回取り上げる記事「Why It Matters」(著:Jukka Niiranen)は、まさにこの現象を真っ向から考察しています。
Google Trendsデータによれば「why it matters」の検索数は2024年夏から急増し、「2025年12月がピーク」であり成長傾向は止まる気配がないとのこと。
私たちは今、理由を説明すること自体がテンプレ化し、コンテンツが“なぜ大切か”を繰り返し強調する世界に生きているのです。
“Ever since July 2024, there’s been continuous growth in the popularity of the search term ‘why it matters’. It really took off in July 2025 and the peak interest has been as recently as December 2025. There’s no sign of the growth slowing down.”
Why It Matters
日本語訳:
「2024年7月以降、『why it matters』の検索人気は継続的に成長しています。特に2025年7月に急増し、2025年12月にはピークを迎えました。成長が減速する気配はありません。」
AIによる「理由付け」のテンプレ化とその背景
記事では、この「why it matters」流行の原因として、人間よりもむしろAIによるコンテンツ生成の影響が大きいのではないか、という主張がなされています。
著者によれば、現代のテキスト生成AI(ChatGPT、Copilot、Claudeなど)は「理由付け」や「重要性の強調」という定型パターンを極めて好んで多用します。
そのため、AIを使って記事やメールを書こうとすると、たいてい“Why it matters”セクションが自動的に現れる、というわけです。
また著者自身もAIにこのパターンのルーツやデータを尋ねると、AIが「この書き方は人間の興味やエンゲージメントを損なう可能性が高い」と批判しつつ、その説明自体がやはり「Why it matters」調に陥るという“自己矛盾”に気づきます。
いまや、書き手本人もAIも無意識のうちに同じパターンを繰り返しているという指摘は、なんとも皮肉で象徴的です。
“TL;DR: The ‘Why it matters’ format is likely hurting more than helping. Formulaic writing tends to paint with very broad strokes and creates repetitive, duplicable content, while recent data shows ‘Written by a human’ is becoming a badge of value, not nostalgia. Engagement metrics favor natural storytelling over templated structures.”
Why It Matters
日本語訳:
「要約:『why it matters』形式は助けになるよりも害になる可能性が高い。定型化された文章は幅広く一律的で、繰り返し・複製しやすい内容となりがち。その一方、最近のデータは『人間による執筆』こそが価値あるものという傾向を示している。エンゲージメント指標では、テンプレート構造より自然な語り口が好まれる。」
AIが生み出す「型」…本当に人間はそれを求めているのか?
ここで注目すべきは、「why it matters」系のコンテンツがネット全体で激増している事実です。
一見すると、読者サービスや説得力アップのための“進化”のようにも見えます。
しかし、背景にはAIが大量の既存コンテンツから学習し、効率的で汎用的な構造ばかりを吐き出す「AIフィードバックループ」が存在する、という著者の指摘は見逃せません。
AIによって書かれた大量の“似たりよったり”な記事がウェブに溢れ、それをAIがまた学習する…そうして「定型スタイルの強化」が加速する構造的問題が起きています。
もはや「なぜ重要か?」を語らせること自体が目的化し、「中身を自分で考える楽しみ」や「文章からじぶん自身で意味や価値を汲み取る喜び」が損なわれているとも言えます。
また、人間は本来「なぜその話が大切か」よりも「何を経験し、どう感じたか」というリアルなストーリーや思索に共感する傾向が強いはずです。
にもかかわらず“なぜ重要か”という唯一解的なフレーズで全てを短絡的にまとめてしまう昨今の風潮は、「読者の思考や想像を妨げる」大きな副作用を持っています。
「事実の発見」や「話をどう受け取り、どう考えたか」といった読み手側のプロセスの余地が、AI的な定型文では失われがちなのです。
私たちはこれから「自分がなぜ大切だと思うか」を表現できるか?
著者は「AI生成による文章が“ある種の違和感”や“大したことを言っていない感じ”を生み出しているのは、『アンキャニーバレー』的なものかもしれない」と指摘します。
人間のアウトプットとAIが作る文章には、見た目が似ていても“経験や思考の痕跡”という根源的な差異が存在するのです。
ところが、AIにより「手軽に理由を仕立てる」ことができてしまう現在、人間自身が「自分の頭で考え、なぜ自分にとって大切なのかを言語化する」訓練や情熱を持てなくなるリスクがあります。
これは単に記事やメールの話にとどまりません。
政策論争、ビジネスプレゼン、SNSでの意見表明、さらには教育現場でのディスカッションなど、
「自分の意見や根拠を自分の言葉で伝える」ことの価値自体が揺らぎつつあるのではないでしょうか。
AIによって簡単に“説得力のありそうな文章”が生成できてしまう今、人間固有の思考・コミュニケーション能力の行方について、私たちは真剣に問い直す必要があると感じます。
結論:「考えること」そのものが本質的な価値だというメッセージ
締めくくりに、著者は「人間の文章表現はただのタスクでもなく、問題解決のためのアルゴリズムでもない」と述べます。
「書く」という行為自体が“感じ、考え、アウトプットし、さらに他者と知見や人生を共有する”という、生きることの延長線上にあるのだと説く点は極めて重要です。
AIの進化は止まりません。それでも最終的に「なぜ大切なのか」を考えるのはAIのためではなく、私たち自身の“思索”や“成長”、そして「人間同士のコミュニケーションの意味」を問い直すためなのだ――
これがこの記事が私たちに投げかけている、最も本質的な問題提起だと私は感じました。
AI全盛の時代に生きる今こそ、「なぜ大切か」に安易な答えを求めるのでなく、「自分はなぜそれを大切と思うのか」を自分自身に問い、言葉にするプロセスこそ磨き続ける価値がある。
その意義を今一度噛みしめたいと思います。
categories:[society]


コメント