動乱する時代に花開く「ビデオエッセイ2025」—動画批評文化の最前線とは

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この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
Video Essays of 2025


ビデオエッセイは何を映し出しているのか?—導入

2025年の今、ビデオエッセイという表現ジャンルは、映画批評からアート、ソーシャルメディアまで、多様な領域で目覚ましい存在感を示し続けています。

かつて「the next big thing(次なる大潮流)」と騒がれたこの形式は、もはや新しさの売り文句を失いましたが、創造的な探究や社会的議論において依然不可欠です。

イギリス映画協会BFIの名門メディア誌Sight and Soundによる毎年恒例のビデオエッセイ・ベスト投票(2025年版)は、これまでで最多となる72人の参加者・255本の作品言及数を記録しました。

この記事では、その記録的な動向の持つ意味、背景に透けて見える「文化的分断」や「アルゴリズム的偶然性」、そして今後の表現世界への示唆について、解説・批評を交えて掘り下げていきます。


ますます多様化する生態系—記事の主張と要所引用

今回のSight and Soundによる投票調査では、学術・映画批評、アートイベント、YouTubeという三大エコシステムが並列するかたちで多様な意見が収集されました。

記事では次のように現状を指摘しています:

“the number and diversity of stakeholders willing to engage with it – creators, critics, scholars, curators, programmers, fans – continues to grow…”

—要するに、創作者・批評家・研究者・キュレーター・ファンまで多層的な「参加者」が増え続け、ビデオエッセイの裾野が拡大しているのです。

また、それぞれの生態系では「ほぼ重複しない作品」が支持され、文脈ごとの断絶も顕著になってきています。

さらに記事は、可視性と到達性のギャップについても触れています:

“…being published online in a respected peer-reviewed journal doesn’t guarantee visibility. Even the most successful scholarly video essays in this poll have relatively low view numbers. … in the world of YouTube, these numbers would likely prevent voters from even considering such works.”

つまり、学術系で評価される動画がYouTube的感覚で言えば「再生数が少なすぎて論外」と見なされる現実があり、発信形態ごとに「受け手」の前提がまったく異なっているのです。


なぜビデオエッセイはここまで分化したのか?——背景と意義

ビデオエッセイの文化が分化している現状には、いくつか複合的な要因があります。

まずメディアそのものの特性。
学術/批評文脈では、アーカイブ映像や歴史資料を活用した作品解釈、ジャンル再考、「批評的な問を持ち込む」実験的手法が多く見られました。

一方、アート分野(フェス、ギャラリー等)は「体験としての没入性」や、政治的トラウマを共有空間でどう受け止めるかという問題意識が前景化しています。

YouTubeでは、自己言及的な語りや社会課題を個人的体験に重ね合わせ、「誰もが届けることができる批評」の機動性が際立つ形で表出しています。
たとえば、AIやジェンダー、監視社会など、今日的なテーマをユーモラスかつ自己省察的に掘り下げる20〜30代の世代感覚も指摘されていました。

もう一つ注目すべきは、いわゆる「可視性の偏り」です。
アカデミックな動画エッセイは質が高くても再生数は数百回レベルが普通である一方、YouTubeのアルゴリズム世界では1万回・10万回に届かねば話題にも挙がりません。

これは、「専門家集団内の精緻な作品が大衆的可視性で埋没する」「逆に話題先行のアルゴリズミック選抜が批評的深度を伴わないまま拡散する」という二重の分断を生み出しているのです。


偏在と偶然、そして「共有された議論」の危機——批評的考察

このレポートでもっとも鋭い問題提起は、「質や到達性のバラつく環境で、人は結局“身近なもの”へと吸い寄せられる(survival strategy)」という点です。

“In this environment of overabundance, uneven availability, and dispersed notions of quality, we naturally gravitate towards what is closest: an essay encountered at a workshop or festival, one tied to a project we follow, or one that surfaces in our personalised feeds.”

つまり、「偶然出会ったもの」「知り合いのプロジェクト」「アルゴリズムが流してきた作品」に安易に依存しがち——これは“生き残り戦略”としては理解できますが、「文脈を共有する討論」や「ジャンルの進化」にとってはリスクでもあります。

特に2025年の傾向としては、戦争とジェノサイド(たとえばパレスチナ情勢)をめぐる作品や、トランス/クィアな身体の可視・不可視化といったテーマも目立ちます。
フェス・ギャラリーの文脈では、映画館という空間性そのものが「現実のカタストロフに抵抗する最後の砦」として機能している点が示唆的です。

YouTubeでは、AIによる「書くこと」の意味の再考や、賛否両論を呼ぶ大胆なメタ・パロディ、コメディとシリアスのあわいの作品(Joshの “You are a better writer than AI (Yes, you.)”など)が選ばれています。

これは「新奇な手法」「重いテーマ」「自己省察/自己解体」が世代横断的にブームであり、作品の多様さはかつてない広がりを見せています。


インパクトある個別事例—多様なトーンと挑戦

ここでは特に高評価を受けた注目作をいくつか挙げてみます。

  • 「The Return of the Star Wipe」(Jiří Anger & Veronika Hanáková)は、消えつつある映像トランジション「スターワイプ」を媒体考古学的に掘り下げた異色作。

    “What kind of artefact, if any, is the star wipe?” …“these questions turn out to depend on classical aesthetic debates about theatricality, ostentation, and taste…”

  • 「Trans Day of Vanishing」(Lily Alexandre)は、トランスジェンダーの可視性と社会的リスクを自己の身体と都市空間を舞台に、観る者の視線そのものを強烈に揺さぶる圧倒的作品。

  • フェス/アートシーンからは「Daria’s Night Flowers」(Maryam Tafakory)が注目され、イランの映画史から“抑圧と解放”を花の映像重ねで象徴的に描きました。

  • YouTube若手層では、「You are a better writer than AI. (Yes, you.)」(Josh)等が、AI批評と個人性の価値をユーモラスに問う。

また、記事では「投票者の大半が英語圏中心」である事実、「女性やクィア、トランスの視点を持つクリエイター作品の台頭」、「非英語圏・周縁国からの参加の拡がり」も報告されています。
世界規模では依然「グローバルセンター=米英加」に偏りつつも、チェコ、リトアニア、イラン、メキシコなど周辺・非西欧圏の専門家や作品の参加が着実に存在感を増しています。


なぜ「ビデオエッセイ」は今なお人を惹きつけるのか?——筆者の考察

私が興味深いと感じるのは、「ビデオエッセイはもはやジャンルでなく“思考の方法”になっている」という点です。

記事中で米教授が述べている通り、

“essays aren’t just a genre of writing. They’re a genre of thought. The video essay is a flexible medium, one that grants a creator the chance to collage home video, guerrilla filmmaking, docupoetics, play, and personal narrative to land at a thesis that is both deeply specific and widely enlightening.”

インターネットと動画編集ツールの民主化が進み、専門家だけでなく10代〜20代の誰もが「論じる→見せる→共有する」サイクルに参加できるようになりました。
AIによる大量生成時代にあっても、「人間ならではの観点」「手作業での発見」「AIからは出てこない偶然」が光る領域です。

一方で、情報過多と可視性ギャップ、アルゴリズムによる偶発的な出会いの中で、「議論の文脈共有」や「批評的枠組み」の維持はかつてなく難しくもなっています。
ただ、それらを不満や危機感だけで嘆くのではなく、
「既存の閉じたサークルを越え、どう豊かな“出会い”を設計するか」こそが次世代の動画批評文化に問われているテーマなのだと思います。

具体例を挙げるなら、日本発のビデオエッセイ文化は未だ欧米寄り批評や英語圏SNSの波に埋没しがちですが、例えばアニメやJ-POP、都市論をテーマにローカルとグローバルを接続する試みは日本発でも起こりうるはずです。
また、教室/研究室発の作品が一般視聴者に届き、逆にYouTuberの巧みな語りが研究者コミュニティでも分析対象となる「越境的循環」の活性化が今後の課題でしょう。


結論:ビデオエッセイは“拡張する思考のコア”である

今回のSight and Sound投票2025は、ビデオエッセイなる表現が
– 専門家とデジタルネイティブの共存
– 芸術表現から社会批評までのマルチスケール
– アーカイブ/歴史からAI・監視社会・個人史までを自由に横断

という前例なき多層化・細分化を遂げつつあることを示しています。

分断や偶然性の世界で「一つの時代精神」を共有することはますます難しくなっていますが、だからこそ「見知らぬ文脈」と「自分の日常」を架橋するビデオエッセイの可能性は今なお拡張し続けているのです。

読者への示唆

  • かつての「読む批評」や「著名人による権威的選評」に頼らず、自分の身体感覚と関心が「ビデオで語ること」そのものを生み出せる時代です。
  • アルゴリズムが生み出す偶然と、リアルイベントや知人の勧め。その両方を意識的に行き来し、「自分なりの“出会いの場”」を設計してください。
  • AI時代でも、人だからこそ見つけられる“驚き・偏愛・発見”は確実に価値を持ちます。ビデオエッセイはその体現形の一つです。

来年のリストに名前を連ねるのは、あなたかもしれません。


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