この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
AutoMondrian
ミッドセンチュリー・モダンが“誰にでも”手に届く!
みなさん、「モンドリアン風アート」と聞いて何を思い浮かべますか?
赤・青・黄の鮮烈な色ブロックに、直線で区切られた構成、シンプルなのに強烈な存在感…。
そんな“幾何学的抽象画”の巨匠を誰もが一度は見たことがあるでしょう。
今回ご紹介するのは、そうしたモンドリアン風のアートを「ランダムに」「自動で」「誰でも」生成できるWebツール「AutoMondrian」に関する記事です。
このツールは、単なるおもしろガジェットにとどまらず、“芸術とテクノロジー”、“所有権と創作性”の境界を問いかける興味深い視点を投げかけています。
以下、記事の論点と、その背景、私なりの考察をじっくりご紹介します。
なぜ「モンドリアン風アート」をPHPで自動生成するのか?
この記事は、作者が既存のF#製「Mondrianizer」への違和感から着想したと語っています。
I saw a Mondrianizer in the functional language F#. This offended me on aesthetic grounds, in that a functional program should not generate “random” images. Additionally, only Windows users can make any further use of that Mondrianizer. That offended me on ideological grounds.
F#という“純粋関数型言語”で偶然性ある絵を作るのが「美学的に納得いかなかった」、「Windows専用で開かれていない」ことも問題に感じた、とのこと。
そこで、誰もがアクセスしやすいPHPで、しかも「典型的にイマイチ」なはずのPHPの“適当さ”さえも逆手にとって、驚きのある作品生成を実装したのがAutoMondrianなのです。
この発想自体が非常にユニークです。
「簡単パラメータ」で自動アート――“創作”は誰のもの?
AutoMondrianには、作品生成を左右するパラメータが豊富に用意されています。
例えば、「Mondrianity Density」(モンドリアン度の密度)、「Whiteness」(白の多さ)、「Splitty」「Buffer」など――。
ユーザーはスライダーなどで直感的に絵の特徴を操作できます。
こうして、自分用に無限のモンドリアン風アートをわずかな操作で量産できるわけですが、ここで大きな問いが浮かび上がります。
Who Owns The Incredibly Valuable Intellectual Property?
…who owns the Art generated by mond.php , and appearing above? Does my choice of settings for “mondrianity” entitle me to a copyright? Does your choice?Once again, it looks to me like only a court trial could tell us with any certainty.
つまり「プログラムが生成した画像の著作権は誰のものか?」という極めて現代的な問いです。
作者がコードの著作権を持っていることに言及しつつも、実際に生成された“アート”の権利については法的確定は困難だ、としています。
そして、有名な「猿が撮ったセルフィー写真の所有権」論争にまで話は及びます。
技術、芸術、法――急接近する三者の“間(あわい)”とは?
テクノロジーがアート生成に関与する時、必ず浮上するのが「創造性」と「所有権」の問題です。
特に、AIや自動生成ツールが台頭する現代では、AutoMondrianのようなPHPスクリプトすら“アーティスト”になりえる時代です。
ここで重要なのは、「どこまでが人間の創作なのか?」「偶発性や自動性が支配的な場合にアートの価値と著作権はどうなるか?」という点。
AutoMondrianの場合、
– PHPコード自体の著作権は明確(書いたのは作者)
– だが、パラメータ調整をしたユーザーが新しい絵を生み出したら、その権利関係はあいまい
– そもそも“ランダム性”が大部分を担っていて、どこまで人間の“創作性”が担保できる?
これはAIイラストやジェネラティブアートに通底する課題です。
たとえばMidjourneyやStable DiffusionのようなAIアート生成ソフトも、出発点となるプロンプト(指示文)はユーザーが与えますが、実際に出てくる画像は「偶発」と「アルゴリズム」による部分が大きい。
そのとき、私たちは本当に“自分の作品”だと言い切れるでしょうか?
PHPの軽やかさがもたらす“民主化されたアート”
AutoMondrianの真の価値は、「誰でも・どこでも・手軽に」モンドリアン風アートが作れる点にあります。
しかもインストールや専用OSを必要とせず、サーバ上に置いて誰もが使えます。
言ってしまえば、“Webさえあればあなたも芸術家”です。
さらに、「トゥールマルシェ型」の創作――すなわちツールと偶然性、そして大量生産的な創作活動――が現代のネット文化を象徴しているとも言えるでしょう。
YouTubeやTumblr、Instagramに溢れる「誰でもクリエイター」時代を先取りしたような思想です。
私は、この“民主化されたアート”にこそ、AutoMondrianの現代的意義を見るべきだと考えます。
批評的視点――創作性の限界と、価値の再発見
一方で、こうした自動生成アートには「創作性の希薄化」も指摘されています。
誰もがランダムに画像を量産できてしまうと、作品の「価値」そのものが失われる危険もはらんでいます。
特に、NFTアートやデジタルアートの分野では、「唯一性」や「希少性」が価値基準になってきました。
AutoMondrianのように無限複製が可能な作品は、果たして本当に“アート”なのでしょうか?
しかし、私はこれを一概に否定するべきではないと考えます。
歴史を振り返れば、写真、シルクスクリーン(アンディ・ウォーホル)、デジタルアートも、最初は「機械だから本物じゃない」「誰でも作れるからつまらない」と蔑まれてきました。
それでも、そうした表現手法は着実に「新しいアート」として市民権を得てきたのです。
本質は、「どんなメディアや技術を使っても、“表現したい”という意志と、その工夫にこそ芸術の本質が宿る」ということなのではないでしょうか。
まとめ――ランダム性から“あなた自身”の美を掬い上げよ
AutoMondrianは、単なるオンラインツールを越えて、“アートとは?創作者とは?”という問いを投げかける存在です。
著作権のあいまいさも含め、“自動生成”された作品にどう価値を見出し、どこまで「自分の」作品として愛せるかは、結局、受け手の「眼」と「関わり」にかかっています。
テクノロジーが提供する“偶然性”は、ある意味で私たちの「美的直感」や「選択行為の自由」を解放してくれているともいえるでしょう。
もしあなたがこの記事に何らかの興味を覚えたなら、ぜひ一度AutoMondrianに触れてみて、自分なりの“唯一無二の”モンドリアン風アートを生成してみてはいかがでしょう。
きっと、そこには新しい発見と、美的快楽が待っているはずです。
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