この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
A Journalist Asked Why Israel Isn’t Paying to Rebuild Gaza. It Cost Him His Job
問題提起――『なぜイスラエルはガザ再建費を負担しないのか』という問いがもたらした波紋
この記事は、イタリア人記者ガブリエレ・ヌンジアーティ氏が「イスラエルはガザの再建費用を負担すべきではないか」という質問を欧州委員会会見で行ったことで、自身が所属する通信社から契約を打ち切られるに至った経緯を詳述しています。
具体的には、欧州委員会のスポークスパーソンに対し「You’ve been repeating several times that Russia should pay for the reconstruction of Ukraine. Do you believe that Israel should pay for the reconstruction of Gaza since they have destroyed almost all its civilian infrastructure?」と問いかけた結果、このやりとりが拡散し、大きな話題を呼びました。
彼の所属するNova通信は、これを理由に契約終了を通告。
公式発表では「質問が技術的に誤っている」とし、ロシアとイスラエルのケースは本質的に異なると説明しました。
“Nunziati had been let go for asking a question that was ‘technically incorrect’ because Russia had invaded a sovereign country unprovoked, whereas Israel was responding to an attack.”
この一件は、ガザ情勢に限らず、現代西側メディアが抱える“タブー”やジャーナリズムの自由、さらにはパレスチナ報道を巡る複雑な力学を浮き彫りにしています。
“事実は不都合なもの”―― 「なぜガザ再建費はイスラエルが出さないのか?」という問いの重み
まず、今回問題となった質問の本質的な意味について考えましょう。
欧州委員会は、これまで「ロシアがウクライナ再建の費用を負担すべき」と繰り返し発信してきました。
そこに対し、同じく大規模なインフラ破壊が行われたガザについて「加害主体であるイスラエルが再建費を払うべきでは?」と問うのは、論理的整合性やダブルスタンダードを突くものです。
この質問は戦争と国際法の原理、またメディアが取り扱うべき倫理的課題そのものに切り込んでいます。
このような“突き刺さる質問”が、なぜ組織の「規律違反」とされ、ひいては解雇の理由になるのでしょうか。
その理由をNova通信の声明から読み解くと、「今回のケースは技術的に誤りだ」「ロシアとイスラエルのケースは異なる」「質問を正当化したこと自体、国際法への理解が不十分だ」という趣旨が読み取れます。
また、動画がロシア系SNSや反欧的メディアで拡散されたことが“社に恥をかかせた”ともされています。
Nova広報はこのようにコメントしています。
“the video related to his question was picked up and reposted by Russian nationalist Telegram channels and media outlets linked to political Islam with an anti-European agenda, causing embarrassment to the agency.”
表向きは「記者の国際法知識不足」、実質は「波紋が大きすぎて社のリスクになった」ことが契約打ち切りに繋がっているといえるでしょう。
ジャーナリズムの自由と“見えないタブー”――ガザ、イスラエル報道における言論統制の現在地
この記事ではさらに、イタリア国内や欧州、西側ジャーナリズムがイスラエルとガザを巡る報道において、事実上の“忖度”や“自己検閲”が働いている現実が指摘されています。
匿名で取材に応じたNova記者の言葉では、
“Nunziati’s case was ‘the tip of the iceberg of Italian censorship to which journalists are subjected’ on Israel.”
とされており、「居心地の悪い質問をしたから解雇」というこの事例は、イタリアひいては欧州メディア全体でパレスチナ・イスラエル報道への見えない圧力が常にあることを象徴しています。
さらに、この記事は国際的な視座から「ガザでのジャーナリスト被害は過去に例がない規模であり、過酷なメディア統制状況にある」とも述べています。
実際、Committee to Protect Journalistsによれば、ガザでは240人以上の記者が殺害(2025年時点)、負傷者や拘束者も多数に上っています。
ダブルスタンダード・「言わざるタブー」に立ち向かう勇気を問う
ここで考えたいのは、“質問自体の正当性”ではなく、メディアとジャーナリストの自由についてです。
そもそも、国際的な武力紛争を巡る「誰が再建費を負担すべきか」「戦争責任をどこまで問うのか」は、各国の立場や歴史によって見解も異なる複雑な議論です。
「ロシアがウクライナの再建費を払うべき」という論理が肯定されながら、「イスラエルがガザの再建費を担うべきか」は“質問自体がNG”というのは、ダブルスタンダードを内包しています。
この“ねじれ”こそ、現代の西側メディアが直面している深い課題です。
確かに現場レベルでの報道安全確保や組織ガバナンスの問題もあります。
SNS時代、特定の発言が意図せず拡散され、政治的思惑に利用されたり大きな軋轢を生むリスクが高まっているのも事実です。
一方で、ジャーナリスト個人は「事実に基づく不都合な質問」で職やキャリアを危険に晒される。
この構図こそ、民主主義社会における報道の健全性・多様性・批判的視点の本質的な危機と言えます。
まとめ:『問う勇気』の意義――読者・社会が考えるべきこと
今回の事件は、報道現場で「どこまでが公正で、どこからがタブーなのか」という境界線が限りなく曖昧になってきている事実を突き付けています。
自由であるはずの欧州報道機関ですら、政治的・外交的圧力や内部の自己規制によって「問い」を封じる現状がある――この事実に読者・市民社会として自覚的になる必要があります。
同時に、消費する側=視聴者や読者も「心地よい情報」や「既存の解釈」だけでなく、ジャーナリストが“危険を冒してでも問うべきテーマ”に目を向けることが大切です。
もし、本当に「事実」「公正」「多様性」に価値を感じるのであれば、不都合な真実や疑問こそが社会を前進させ、長期的な信頼を得るのだという視点を意識したい。
単なる“ニュース消費者”ではなく、“報道の監視者・支援者”としての姿勢が今、求められているのではないでしょうか。
categories:[society]

コメント