この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
Work Is Not School: Surviving Institutional Stupidity
「優等生」のままでは通用しない?――組織で直面する現実とは
多くの人が16年以上もの時間を学校という「ルールと評価」の世界で過ごし、「努力は報われる」「成績や数値がすべて」「公正な評価が正義」といった価値観を徹底的に刷り込まれます。
ですが、社会人になり、組織で働きはじめた瞬間、これまでの常識が通用しないことに衝撃を受ける瞬間が必ず訪れます。
今回取り上げるWork Is Not School: Surviving Institutional Stupidityは、そんな理不尽で不可解にも思える「組織の現実」と、そこにどう向き合うかを冷静に論じた良記事です。
「なぜ、まっとうに頑張っても評価されない人がいるのか?
なぜ、会社は“公平”を標榜するのに、出世や評価は不可解なことで決まるのか?」
その素朴な疑問を分析し、希望を持ちつつもリアルに「経験値として使える知恵」としてまとめられています。
組織は「公平」じゃない? 引用と著者の主張
この記事では冒頭から、次のような厳しい現実を突きつけています。
“Organizations don’t run purely on merit or even clear criteria. Although they claim otherwise using buzzwords like “merit” and “data”. That’s only one part of the story, and also what’s visible. The other part, often more consequential, runs on flawed psychology, imperfect decisions, and competing interests. You can call it organizational absurdities. Or more bluntly, institutional stupidity.”
(組織は必ずしも能力主義や明確な基準で動いているわけではない。多くの企業は“能力主義”“データ主義”といったバズワードを使うが、それは物語のごく一部にすぎない。本当は、歪んだ心理や不完全な意思決定、相反する利害に支配されている。それを“組織のおかしさ”あるいは、もっと率直に“組織的な愚かさ(stupidity)”とまで呼べる。)
そして、その「愚かさ」=不合理な意思決定や対人関係のねじれ、不一致、うっかりミス――は、悪意(malice)からというより、無気力、分断、誤ったインセンティブ、忙殺など「愚かさ(stupidity)」で説明したほうが正確だと言います。
さらに、
“Assuming malice turns you into a cynic. In contrast, assuming stupidity keeps you curious.”
(悪意を疑いはじめると人は皮肉屋に陥る。それに対し、愚かさを前提とすると、好奇心を失わずにいられる。)
と、感情的に拗ねるのではなくシステムの構造そのものを過不足なく観察する態度を推奨しています。
会社は「実力主義」ではない? しくみのリアルに目を向ける
それでは、なぜ会社では「バカらしいこと」がまかり通るのでしょうか。
これは単なる“悪い上司”や“イカサマ社員”のせいではなく、
組織という構造自体が「理屈だけでは割り切れない仕組みと力学」で動いているからです。
たとえば、「本当に実力のある人が出世する」と私たちは思いがちですが、著者はこう喝破しています。
“The reality is that the best don’t always rise. At least not as easily or automatically as we think they should…what gets rewarded isn’t performance but proximity to power, timing, perception, and political usefulness. This doesn’t mean performance doesn’t matter. It means performance is necessary but not sufficient.”
つまり、実力(performance)は大前提、いわば「パーティーへの入場券」ではありますが、
実際に“テーブルの席”や目立つ役割を得るには、「どれだけ行動が認知されているか(visibility)」
「誰にどう評価されているか(perception)」「どのタイミングか」「どの派閥に近いか」といった
主観的・政治的な要素が不可欠になるという現実です。
さらに、「パフォーマンスは評価者が観測しなければ“無きがごとし”」となりやすい。
極端な例ですが、「上司が自分の成果を知らない」「プロジェクトの功績が他人の手柄になる」
「地味な仕事ばかりで成果が埋もれる」という声はどこの現場でも耳にします。
こうした見えない“組織のルール”に気づかず、「なぜ報われない?」と嘆いても事態は変わりません。
「フェアであれ」と叫ぶな――主観・曖昧さの本質を受け止める
特に優秀な人や誠実な人ほど、「公平性」「客観的評価」にこだわりがちです。
ですが、本稿でも指摘されているように、
そもそも組織は「定量評価“っぽい何か”」を演出するものの、水面下は“知人伝いの噂話”や“安心感・親近感”など、きわめて主観的な情報に左右されます。
例えば、
“On paper, organizations love metrics: KPIs, OKRs, dashboards. Meanwhile, subjective decisions are constantly happening behind the scenes. The decisions about who to trust, or who gets a shot are made through informal reputations and shared stories about your value. Then the “data” is used to justify them in retrospect.”
(組織はKPIやOKR、ダッシュボードといった指標で客観性を装うが、実際には裏側で主観的な判断が積み重なる。信頼できる人物かどうか、誰にチャンスを与えるかは、正式な評価でなく噂や評判、物語によって決まる。そして後から“データ”がその判断を正当化するために引用される。)
この現実を「不条理だ!」「正しい評価を!」と叫ぶほど、
裏の“基準”を読めない人間になり、不利に陥るのです。
むしろ、「誰がどのように“私”を評価するのか」
「なぜ今この成果が注目され、あちらはされなかったのか」
と、組織の“主観的ロジック”を冷静に読もうとする力こそが必要なのです。
セルフプロモーションは悪なのか?ポジショニングと認識操作の重要性
学校では「自己主張しすぎは悪目立ち」と教えられがちですが、
職場では「価値ある仕事」と認定されるため、自分の成果の“伝え方”や“アピールの仕組み”を用意する重要性が指摘されています。
著者はこう記しています。
“Merit matters, but it needs a stage and a spotlight. It doesn’t mean becoming a shameless self-promoter. Rather, your work needs a distribution strategy.”
実力(merit)は重要ですが、舞台(stage)とスポットライト(spotlight)が必要だ、
つまり、「成果が見える場」と「それに目を向ける審査員(意思決定者)」を意識せよと説いています。
もちろん、自己アピール=単なる「ドヤ顔」では意味がありません。
誰に何をどう見せるかを論理的に設計し、ストーリー化=「価値の言語化」までが求められます。
ここでいう“distribution strategy”とは、
・部内会議でのプレゼン
・実績シートや報告レターのタイミング
・キーパーソンとの会話の内容
・実績を理解してくれる人から評判を広めてもらう――
など、戦略的な“魅せ方”すべてを含みます。
目立つ=忌避すべきセールス行為、と単純に考えず、
「自分の仕事が、組織や上位者のニーズ/状況にどう結びつくか?」
を常に再設計する姿勢が求められるのです。
他人のゲームで消耗しない――「主導権の自覚」と“人生の複線化”を
組織の中には「目立つ人」「派閥にうまく立ち回る人」「地味でも信頼される人」など、多様な“ゲーム”が存在します。
“There is no one game being played. There are multiple, overlapping games with different scoring systems. Some are playing to build long-term credibility; others for short-term visibility. You can’t play them all and neither should you try.”
(組織には一つのゲームだけではなく、複数のスコアリング基準が同時に存在する。長期的信用構築を狙う者もいれば、短期的目立ちを追求する者もいる。すべてのゲームに参加しようとする必要はないし、してはならない。)
「〇〇さんの真似しても、うまくいかない」
「A部のルールはB部では通用しない」――その理由はここにあります。
さらには、「他人の価値観が自分のものだ」と錯覚し、自分が本当に望む働きかた、評価軸を見失ってしまう“キャリアの迷走”も、現実に多く見られます。
「自分は何をしたいのか、この組織で何を得たいのか」
棚卸しを怠ると、望まない方向へ「盲目的に流される」ことになりがちです。
また、組織の外に対しても「自分の軸」「自分だけのネットワークや技術」「複数のアイデンティティ」を持つことが、“組織依存のリスクヘッジ”になる、という視点は極めて実用的です。
「変えられるもの」に集中せよ――“内的コントロール”を磨く
組織で生き残る鍵として著者が提案するのは、「自分の影響可能な領域(circle of control)」に焦点を絞ることです。
規模の大きな会社ほど「自分は歯車だ」「上が言わなきゃ何も変わらない」という無力感=organizational helplessness(組織的無力症候群)に囚われがちです。
“The key is maintaining an internal locus of control which includes your positioning, relationships, and what you are building.”
(自分がコントロールできること、たとえば自分の立場付け、人間関係、構築している価値に主体的に関わることが重要だ。)
自分の裁量が及ぶ範囲に集中投資し、現状の環境でも主体性や改善策を打ち出すことが、
長期で燃え尽きず“現実的な最適化”へとつながるのです。
【考察】「個人の戦略」としてのリテラシー――日本組織にも必須の知恵
筆者の主張は、グローバルでも普遍ですが、とくに日本の組織風土とも符合する側面が多いと感じます。
- 形式主義の強い大手企業や官公庁
- 空気を読んだ“忖度”や“裏ルール”が横行する人事
- 「出る杭は打たれる」「自己顕示は嫌われる」といった文化的同調圧力
これらの特性に悩む日本のビジネスパーソンは少なくありません。
ですが、「アピール=悪」「評価がなくても黙々と頑張るべき」という固定観念を持ち続けると、正当に報われにくい環境が加速します。
むしろ本稿のように「主観・タイミング・ネットワーク・ポジショニングも含めた戦略」を
“現実を直視するリテラシー”として獲得するべきだと強く感じます。
さらに、帰属組織以外にも「小さな職能コミュニティ」や「発信活動」などの
“人生の複線化”を行うことで『脆弱さを減らし、しなやかに機会を増やす』という発想も、
VUCA時代の日本においてこそ重要な考え方です。
まとめ:不条理な組織を攻略せよ ――賢く生きのびる道
最後に、著者はこう結んでいます。
“Organizations are ultimately human constructs. Imperfect, but not immutable.”
(組織はつまるところ人が作ったもの。不完全だが、決して不変ではない。)
理不尽や矛盾とは決して“正面から戦うもの”ではなく、「適度な距離感」と「俯瞰した観察力」を持つことで、生き抜き、長期的には自分自身の成長や選択肢を増やすことができます。
「ただ頑張れば報われるはず」という“学校的思い込み”から一歩抜け出し、
組織の複雑で主観的な力学まで読み解けるあなたは、
今後のビジネスパーソンの中でも必ずや抜きん出る存在になれるでしょう。
どの業界・職種・年齢でも通用する“生きる知恵”として、
今回の考え方をぜひ日々の行動に落とし込んでみてください。
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