この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
The Emacs thread-related code needs a maintainer
「パッチ歓迎」の裏に隠された課題――Emacsスレッド問題の真相
Emacsは歴史の長いエディタであり、その進化は多くの開発者の手によって支えられてきました。
近年特に注目されているのが「スレッド」(並行処理)まわりの実装と、その設計・保守体制です。
今回ご紹介するのは、Emacs開発MLで語られた「Emacsのスレッド関連コードには現在担当メンテナがいない。抜本的な設計変更や機能拡張をするなら、まず担当者が手を挙げてほしい」という趣旨の発言です。
Emacsのスレッド設計やエラーハンドリング、さらにその開発体制に関心がある方には必読の内容となっています。
本記事では、原文の主張を解説しつつ、現役エンジニア目線でその意義や現状を読み解いていきます。
原文で語られていること――維持されないままの「危うさ」
まず、記事の主な発言者であり、長年Emacs開発に深く関わっているEli Zaretskii氏による核心箇所から引用します。
Let me just state the obvious, if you haven’t figured that out already: we don’t have on board anyone who takes care of this part of Emacs. I’ve been fixing thread-related problems here and there since this stuff has landed on master, because no one else would. What we have now might be not ideal, but the basic features work, and I’m not aware of any glaring bugs (of which there were several in the beginning). So the only way I’ll agree to changes that modify the design and expand this further (i.e. not changes that fix clear bugs) is if someone steps forward to be the responsible maintainer of this part of Emacs, and will thereafter keep the promise by picking up any and all bug reports and other discussions related to threads, and working on them actively and efficiently. I cannot be that person, so someone else will have to volunteer.
(要約解説:
「Emacsのスレッド部分には現在、事実上担当者がいない。自分は必要に応じて不具合の修正などには手を出してきたが、大きな設計変更や拡張は、今後専任メンテナが現れない限り受け入れられない。私はその役にはなれない」)
“patches welcome”(パッチ歓迎)という一見前向きな姿勢も、責任体制が空白のままに改善や機能追加が進むことへの懸念を強調しています。
なぜ今「メンテナ不在」が問題なのか?――設計・運用・文化的背景から考える
Emacsは巨大なソースコード、長い歴史とレガシー、独自の文化を持っていることで有名です。
その中でもスレッド関連機能は比較的新しく、設計や動作保証も他言語や標準的な並行処理の枠組みとは大きく異なります。
例えば、記事中にも以下のような応酬が見られます。
People who come from other languages and expect to get the same semantics with Emacs Lisp threads have wrong expectations, and should adapt.
But yes, it would be nice to have the same semantics as in other environments, if we could make it work, what with all the restrictions we must observe.
(解説:
「他言語のノリでEmacs Lispのスレッド使うと違和感しかない。理想は他言語並みに扱えることだが、現状は制約が多く、使い手にある程度の順応を求めるしかない」)
スレッドの設計というのは本来極めて厳密な保証やテスト、あるいは使い勝手に関する検討とセットで推進されるべきものです。
しかし現状、設計の初期段階から十分な「専門的な世話役」が不在のまま推移し、「最低限動くもの」が置かれているだけという状況が続いてきました。
それでも不具合があれば都度誰かが修正はしてきたものの、仕様変更までは踏み込めない理由が「責任を持って保守し続ける人がいないから」だと語られています。
加えて、スレッドの挙動に統一性がない、あるいはエラー伝播が他言語に比べて直感的でない等、古くから指摘されつつ放置されている設計上の手当て不足が、開発者・ユーザ層に不満として蓄積しています。
現代のオープンソースに求められる「専任体制」 ――なぜ設計変更は容易でないのか?
ここで注目すべきは、「目先の便利さだけで機能追加すればよい」という単純な話ではない点です。
元記事にも、
As for “patches welcome”, I hope you agree that it should not be taken as “any patch will be automatically accepted”.
とあり、パッチ提出の主体性や質だけでなく、持続的保守を担う体制の必要性をはっきりと主張しています。
スレッド制御・並行処理は一種の「根幹技術」であり、不用意な変更は既存コードの広範な動作やパフォーマンス、さらには今後の発展性に深刻な影響を与えかねません。
またEmacsに限らず、多くのOSSプロジェクトで「部分的な設計変更→責任者不在→メンテ不能→技術的負債化」という悪循環がしばしば問題になります。
現時点で「致命的ではない」からといって放置すれば、新規ユーザや応用先からの信頼を損なうリスクもあり、中長期的には開発停滞の一因となりえます。
逆に、無理に設計拡張・高度化を進めても、それを「史料として説明し、保証し、長期保守する覚悟」がなければ、誰も得をしないことになってしまいます。
どこまで「他言語並み」を目指すべきか? ――Emacsにおけるスレッド文化の特殊性
面白いことに、Eli氏はこう述べています。
Emacs Lisp threads are not just threads in some GP programming language. They have restrictions, which are basic in their design.
つまり「Emacs Lispのスレッド」は、CのpthreadやJava, Go, Rustなどの標準的スレッド実装とは「根本的な哲学が違う」。
完全なマルチスレッド実行、優先度制御、同期メカニズムなど、“普通”のプログラミング言語で常識とされる仕様・利便性が、Emacsでは一部制限付き・未実装になっています。
この「文化的違い」「歴史的制約」によって、Emacsが“並行処理の理想郷”となりえない現実があります。
言い換えれば、Emacsならではの「動的再定義文化」「対話型デバッグ」「可変的なユーザ拡張」により、スレッドの整合性や安全性を他言語ほど高く求められていないとも言えます。
しかし他方で、現代的なウィンドウマネジメントやリアルタイム処理、サーバ連携など、高度な並行処理需要が年々高まっているのも事実。
こうした新しい用途に対応する設計・実装には、単なるバグ修正や場当たり的なパッチだけでなく、全体を統括する視点と長期的なビジョンが不可欠です。
OSS開発の現場は「人」が全て ――主体なきままの機能追加は危険
現在、Emacsの「スレッド周り」には事実上「辞令の降りない臨時メンテナ」がいるのみであり、誰も「自分事」として責任を持たないまま設計・実装が積み重なっている状態です。
その中、patches welcome「パッチは歓迎!」と発言するのは簡単ですが、“誰が、どうやって、それをずっと管理するのか”が明確になっていなければ、単なる「意思表示」以上の意味は持ちません。
So I would prefer not to make significant changes for such problems for now.
The proposed patch is about 8 lines long. Is it really a significant change or a fix? Yes, it’s significant from where I stand.
It modifies the design of how errors were supposed to be reported by thread-join.
(要旨:
致命的なバグ修正は自分でもやるが、「設計の基本思想を変えるような修正」はたとえ内容が小さく見えても“重要な変更”。暗黙の運用や設計意図を壊さぬよう、体制が整うまで安易に手を出すべきでない、との姿勢を鮮明にしています)
これはOSS全般に共通する教訓であり、「技術力」と「人的リソース」「責任感」の両輪が揃わなければ、本質的な進歩は望めません。
Emacs開発の未来に向けて ―読者への問いかけ
Emacsが直面している「スレッド設計の課題」は、単一エディタの機能改善のみならず、現代ソフトウェア開発に広く通じるテーマです。
- 利便性・最新技術追随のためになんでも実装を進めるべきか?
- 設計思想・独自文化を優先する伝統主義も重要か?
- OSS開発の推進力は「情熱的ボランティア」だけで十分と言えるのか?
スレッドまわりの責任者不在問題は、こうした根源的な問いへの具体的な「現場の声」であると感じます。
個人的には、「機能追加」より「設計・仕様のストーリーテラー(守り人)」という役割の希少価値が増す時代だと思います。
新しい機能やパッチよりも、「保守・整理・説明力」に熱意を持つ人材がOSSの未来を切り拓くのではないでしょうか。
結論――「関わる意志」が未来を決める
Emacsのスレッド設計が今後どうなるのか、その行方は一人ひとりの開発者、ユーザ、関心あるコミュニティメンバーの「関わる意志」にかかっています。
機能追加を声高に求めるのは簡単ですが、「自分がその分野の守り人になる覚悟」がなければ、設計と運用が“崩れ”を誘発する危うさがあります。
Emacsだけでなく、あらゆるOSS・巨大システムにおける「人と設計の持続的マッチング」の難しさ。
その解決は一朝一夕にはいきませんが、まずは現状の問題意識を共有し、議論し、手を挙げる人が一人でも増えることが突破口になる。
その意味で本記事が、多くの開発者やEmacsユーザの方に、より建設的な「意志表明」や参加のきっかけとなれば幸いです。
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