この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
What will the AI revolution mean for the global south?
AIがもたらす新たな“恩恵格差”――今知るべき問いかけ
AI(人工知能)が世界を席巻する今、その恩恵はいったい誰に行き渡るのか――。
私たちの多くが恩恵を受けていると感じるデジタル技術ですが、その裏では途上国、いわゆる「グローバルサウス」に新たな格差が生み出されている可能性が指摘されています。
今回取り上げるのは、トリニダード・トバゴ出身の科学者によるガーディアン紙掲載の論考です。
この人物は、「イノベーションの恩恵は本当にすべての人のもとに届いているのか?」と問いかけ、AI時代の新たな南北問題――つまり経済的・地政学的な“恩恵格差”について警鐘を鳴らしています。
「AI民主化」という幻想――構造的欠陥は解消されたのか?
記事は冒頭で、「As a country that was once colonized by the British, I am wary of the ways that inequalities between the global north and global south risk being perpetuated in the digital age」と述べています。
訳すと「私はかつてイギリスに植民地化された国の出身者として、デジタル時代におけるグローバルノースとグローバルサウスの格差が温存されることを警戒している」となります。
さらに筆者は、こうも指摘します。
“I often hear the word ‘democratisation’ within the AI community, an implication of equity in access, opportunity and merit for contribution regardless of one’s country of origin.”
AIの世界では「民主化(democratisation)」が盛んに語られ、「国籍に関わらず公正なアクセスや貢献の機会がある」と謳われています。
しかし、実際にはどうでしょうか?
筆者は具体例を挙げます。
たとえば、AI分野で権威ある学会NeurIPSでは「アフリカ大陸出身の研究者のビザ取得問題」が毎年取り沙汰されています。
これは「研究活動や国際的ネットワークへのアクセス」に決定的な壁がある現実を示しています。
そして、AIの基盤を支える計算リソースや豊富な研究資金の多くはアメリカや先進国に集中。
一方、データラベリングなどの「低賃金のマニュアル労働」はグローバルサウスの人々が担っている、と筆者は指摘します。
目に見えない「データ植民地主義」とは――背景を掘り下げる
なぜこのような格差が起きるのでしょうか?
筆者は、歴史的に続く一次産品輸出構造(コーヒーやカカオなどをグローバルサウスが安価で生産し、北の国で高付加価値商品となる)の延長線上に、データやAI関連ビジネスの構造もあると指摘します。
面白い指摘として、「over the past few years we have seen influence in AI inextricably tied to energy consumption. Countries that can afford… more energy… reinforcing power to shape the future direction of AI」と述べています。
つまり、膨大な電力消費を要するAI開発は、エネルギー資源・予算を持つ国が主導権を握り、その影響力が“データの価値”や“AI技術の方向性”をも左右する、という訳です。
この現象は一部では「データ植民地主義(Data Colonialism)」と呼ばれ、実際、重要なインフラや政策立案が各国で追いつかず、途上国が「データ経済の周縁」に追いやられる現実があります。
また、“AIの民主化”を謳いながら、実際には「ビッグデータや計算資源の独占」「規格やプラットフォームの主導権集中」といった“新たな不平等”が生み出されているのです。
加えて、発展途上国の多くでは「法制度やインフラが脆弱」「データ保護やITセキュリティ体制が未整備」といった問題があり、「even with an improved information infrastructure, they are likely to function at a disadvantage in the global information marketplace」と筆者も述べます(インフラが多少整備されても、グローバルな情報市場では不利な立場にある)。
“BRICS型AIコミュニティ”の可能性――批評的考察と日本とのつながり
記事終盤、筆者は「What would an AI community inspired by the Brics organisation look like for the global south?」と問いを投げています。
つまり、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)に代表される新興大国が連携し、「自らの主権的なAI市場・データ保護体制を構築すべきでは」という提案です。
この問いかけは、いわゆる“グローバルサウスAI連合”の萌芽とも言えるでしょう。
現にインドではデータ主権を掲げる法制度や公共AI基盤を独自に進め、中国もAI分野で独自路線を打ち出しています。
こうした動きには、欧米基準の「プラットフォーム支配」に対するカウンターという意味合いもあります。
一方で、これらが新たな排他主義やブロック経済を生み、グローバルでの協調やオープンイノベーションを阻害する懸念もあります。
また、「データラベリングの低賃金化」「ローカル人材の頭脳流出」「生成AIが反映しない“物語”の消失」など、複雑な課題が山積しています。
この問題は、実は日本とも無関係ではありません。
日本でも先進国としてAI利活用を推進しながら、アジアの新興国やグローバルサウスにどう関与するのか、倫理面・協力面のビジョンが問われています。
また、「AIがどの社会、どのコミュニティ、どの価値観に役立つのか」を問う姿勢は、日本のイノベーション政策でも無視できない論点です。
“誰のためのAIなのか”――今こそ考えるべき未来への視座
本記事のラストは、次のような提案で締めくくられています。
“Countries from the global south should work together to build their own markets and have a model of sovereignty for their data and data labour.”
「グローバルサウス諸国は、自らのデータとその労働力の主権を確立し、自前の市場を構築していくべき」。
そして、「Economic models… include a measure of improvement in the quality of life of the most marginalized… It is my hope that in the future that will extend to our evaluation of AI」とも述べており、「AIを評価する物差しとして“最も弱い立場の人々の生活の質”が改善されているかを重視すべき」という提案がなされます。
これは単に技術革新ではなく、倫理的・社会的な問いでもあります。
私たちが“AI革命”と言ったとき、それが本当に「すべての人にとっての進歩」なのか。
単なるテクノロジーの競争ではなく、「その社会で最も小さな声」「新しい物語に耳を傾ける姿勢」が、今後のAIの発展に不可欠だと強く感じます。
例えば、日本なら地方や障害者、少数民族の声が、世界全体で見ればグローバルサウスの声が、AIの意思決定やストーリーテリング・価値観形成にどこまで組み込まれるか、一層自省が必要でしょう。
【総括】テクノロジーの陰にある“格差”に目を向けよ――私たちが取るべきアクション
AIの恩恵と格差――。
その最前線で起きているのは「技術主導」のグローバル化ではなく、「誰が声を持つのか」「誰が利益を得るのか」を巡る根源的なパワーゲームです。
記事が投げかけているのは、「民主化」という美辞麗句の裏で起こっている南北格差の温存、そして新たな“データ経済植民地主義”の危機。
私たち一人ひとりが「誰のためのAIなのか」「そこに十分な包摂があるのか」を絶えず問い直すことこそ、これからの研究者・実務家・政策立案者に課せられた使命といえるでしょう。
日本の読者にも、「共創型グローバルAI」のあり方、そして“包摂的なイノベーション”を自分ごととして考えるきっかけとして、ぜひ本記事の論点を深く味わっていただきたいと思います。
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