この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
Labor unions sue US administration over social media surveillance
SNSはもう「安全地帯」じゃない——米国で進む社会メディア監視の実態
近年、個人のSNS利用は私生活や仕事において欠かせないものとなりました。
しかし、その投稿が政府の監視対象となり、思わぬ形で人生を左右する現実が、米国で進行しています。
そして2025年10月、労働組合と電子フロンティア財団(EFF)が、トランプ政権下で導入されたソーシャルメディア監視政策に対し、連邦政府を提訴したという重大なニュースが舞い込みました。
この記事では、この訴訟の背景や社会的意義、筆者の考察を交えつつ、SNS監視政策が私たちにもたらす本当のリスクと教訓を論じていきます。
SNS政策めぐる訴訟、その概要と問題視される点
件の記事では、Electronic Frontier Foundation (EFF) の弁護士たちが、米国の三つの主要な労働組合を支援しながら、トランプ政権下で施行された社会メディア監視プログラムを巡って起こした訴訟について取り上げています。
引用:
“Lawyers at the Electronic Frontier Foundation (EFF) are helping three US labor unions sue the Trump administration over a social media surveillance program that threatens to punish those who publicly express views that are not harmonious with the government’s position.”
(Labor unions sue US administration over social media surveillance)
ここで問題とされているのは、政府の方針に沿わない意見を公に表明する人々を処罰する恐れのある監視プログラムです。
加えて、この記事には以下のようなデータも掲載されています。
たとえば、米国滞在資格を持つ大多数の非市民に対して「過去5年分のすべてのSNSアカウントハンドルの提出」が求められるだけでなく、F・M・Jビザ保持者(留学生や交換留学生など)は、自身のアカウントを「公開設定」にする必要まで課されています。
しかも、監視の対象はテロリズムや過激思想だけに限らず、「政府の気に入らない思想発信」まで広がっているという実態が明かされました。
なぜSNSが狙われるのか?——時代背景と法的問題点
デジタル時代の「治安維持」はどこまで許されるのか
SNSは、一見パーソナルな空間に思えますが、実際は公共空間と同じく(あるいはそれ以上に)広範な監視にさらされている場となっています。
とりわけ移民政策や治安維持といった大義名分のもと、政府が個人の社交アカウントにまで干渉を広げている点は、米国内に限らず世界の流れとも共鳴しています。
引用:
“Noncitizens … are also required to make their social media accounts publicly viewable.”
また、この監視プログラムは「AIによるイスラム過激派やパレスチナ支持、反ユダヤ主義的発信の検出」までをも目的に掲げています。
いわゆる「Catch and Revoke」作戦という、DHS(国土安全保障省)、国務省、司法省が合同で展開する取り組みです。
問題なのは、多くのケースで、政府が「違反」とみなした発信があれば、ビザの剥奪や移民優遇措置の取り消しといった、当事者の人生を大きく揺るがす制裁が課される点です。
憲法修正第一条(言論の自由)は移民にも守られる?
EFFや提訴する労働組合は、この政策が合衆国憲法修正第一条(表現の自由)に違反していると主張します。
「憲法によって保護される発言すら脅威とみなされて処罰される」という懸念は、単なる理屈を超え、現実的な萎縮・自粛を引き起こしています。
実際、UAW(全米自動車労組)、CWA(通信労組)、AFT(教職員組合)の多数のメンバーが、「組合関連の投稿やアカウントの削除」を余儀なくされているとされています。
引用:
“more than 60 percent of UAW noncitizen members and more than 30 percent of CWA noncitizen members had wiped their social media accounts to some degree, or refrained from sharing union content.”
つまり、監視政策は表現の自由のみならず、労働運動や市民社会全体の健全性をも侵食しているということです。
SNS自粛と「参加しない自由」——現代社会におけるリアルな萎縮効果
私が特に注目したいのは、監視政策がもたらす「見えない萎縮効果」です。
記事が紹介する調査によると、SNS監視に気付いた組合員の8割(UAW)、4割(CWA)以上が実際にオンライン活動を控えたり、アカウント自体を削除しています。
さらに、SNS活動だけにとどまらず、現実世界での組合参加(集会や抗議行動など)までも控えるようになった事例も報告されています。
引用:
“Many members also reported altering their offline union activity in response to the program, including avoiding being publicly identified as part of the unions and reducing their participation in rallies and protests.”
これは、単にSNS上の発信が控えめになるという以上の事態です。
組織活動や労働運動、さらには正当な権利主張や救済申請(たとえば賃金未払い)までが「監視の恐れ」から見送られる実例も挙がりました。
具体例から読み解く「萎縮(chilling effect)」の深刻さ
筆者がこれを特に重大視する理由は、民主主義社会の健全な自己修正機能が麻痺しかねないからです。
SNSが単なる娯楽や自己表現の舞台を超え、社会変革の「武器」あるいは「盾」となる中、その自由な活動が萎縮・抑圧されることの意味は計り知れません。
たとえば、ハラスメント告発運動(#MeToo)や、ブラックライブズマター運動など、現代の多くの社会運動はSNSを軸に拡大・可視化されてきました。
しかし、「自分の投稿が国家に蓄積され、いつかビザや永住権審査のとき不利になるかもしれない……」という不安が、非市民だけでなく市民層にも広がれば、小さな疑問や提言すら表立たなくなっていくでしょう。
これこそが、「監視による自己検閲」の最大の弊害です。
他国も同じ?——「普遍的な流れ」か「アメリカ特有の過剰反応」か
本記事でも示唆されている通り、イギリスなど他国もSNS監視を「特定個人」が対象に持ち込むケースはあります。
ただし、「全ビザ保持者」を一律、プロファイリングと監視の網にかける仕組みは決して一般的ではありません。
引用:
“Other countries, including the UK, also engage in social media monitoring … However, it generally only does this when there are known concerns about a given individual, rather than deploying a blanket screening of all immigrants.”
つまり、米国での「包括的・事前的」監視は世界的な潮流とは一線を画しています。
さらに、AI技術の活用は監視の効率と網羅性を飛躍的に高める反面、誤検出の危険や主観・バイアスの入り込む余地も持ち合わせています。
たとえば、風刺や皮肉、二次的な引用まで「反政府的」「危険思想発信」とみなされてしまう事例は枚挙に暇がありません。
この点は、日本でも近年議論されている「表現の自由」vs「治安・公共秩序」のジレンマとも共通します。
訴訟の意義と、残された課題──「声を上げる勇気」は本当に守られるか
EFF・組合らが起こした今回の訴訟は、単なるビザ政策争いを超え、21世紀の民主社会における「監視と自由」の本質論争を象徴しています。
実際、2025年9月にはマサチューセッツ連邦地裁で「言論の自由侵害」とする違憲判決も出ています(ただし控訴も見込まれる)。
また、[AAUP decisionや著名メディア人の事例では「言論への弾圧には声を合わせて抵抗すれば乗り越えられる」との教訓が語られています。
ただし、現場の不安や萎縮がすぐに解消されるわけではなく、「制度の撤廃」とは別に、「監視下でも反対意見をどう表明するか」「質的な市民運動をどう再生するか」といった課題は残ります。
「誰もが表現と連帯の権利を持つ社会」に向けて——日本への示唆
今回の事例は、日本にとっても決して他人事ではありません。
難民・移民政策がグローバルに重要となるなか、SNS・監視技術の導入議論が今後ますます加速することは確実だからです。
私たちが日々触れているSNSは、もはや「自由な心のよりどころ」だけではありません。
その投稿がどこかで監視・蓄積され、時に本人の人生判断に用いられるリスク——この現実を無視して社会を回すことはできません。
とはいえ、「全てを恐れ表現しない」のでは社会が閉塞し、逆にただ「自由だから何でも発信しろ」と言うのも安易です。
本稿で重要だと感じるのは、「市民自身が監視社会に抗する知識と連帯、そして声を上げる勇気を持つこと」です。
監視に委縮するのではなく、時に「制度の撤廃や改善」を求め、問題を可視化し続ける努力そのものが、自由を守る唯一の道ではないでしょうか。
結論
SNSはあなたの「現実」の一部。
監視社会に萎縮しきる前に、制度の問題点を認識し、自分たちの表現や連帯の権利をどのように守れるのか——今こそ一人ひとりが考え、周囲と対話し、行動する時かもしれません。
categories:[society]

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