この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
Access Logging in 2025
「読者がいるのか」――素朴な問いはなぜ難問になったのか?
ウェブサイトやブログを運営している人にとって「誰かが実際に読んでくれているのか?」という問いは、ごく当たり前のものです。
しかし、2025年を迎えたいま、その答えを手に入れるのはかつてよりもはるかに困難になっています。
今回は、Access Logging in 2025の記事を題材に、「現代のアクセスログはなぜ“人間の読者”を正しくカウントできないのか」「“人間的行動”を計測しようとする技術の課題」などについて深掘りし、現代のウェブ運営者が直面する問題とその根本に迫ります。
“ログ分析は死んだ”?記事が語るウェブアクセスの現実
まず、記事の執筆者は次のように述べています。
“Today these logs are mostly useless when it comes to looking at human traffic, because the majority of traffic is bots, especially now that the AI companies are running their own web crawls.”
(訳:今日では、これらのログは人間のトラフィックを把握するうえでほとんど無意味です。というのも、トラフィックの大半がボットだからです。特に近年はAI企業までもが独自のウェブクローラーを運用しています。)
つまり、現代のウェブアクセスの大部分は「人間」ではなく「ボット」——とくにAI関連のクローラー等によるものが占めており、従来のアクセスログ解析では“実際の人間の読者”を特定しにくくなっている、という主張です。
実際、記事中にも
“Some bots like Googlebot label themselves… but there are many other bots, including those that identify themselves as a browser.”
(訳:Googlebotのように自身をラベル付けするボットもいますが、自分がブラウザであると偽装するボットも多く存在します。)
とあり、ボットの判別自体が妙に難しくなってきている現実も指摘されています。
アクセス解析vs.進化するボットたち——新旧のテクニックの限界
1. サーバーログはもはや「人間の痕跡」を残せない
かつては、ウェブサーバーのアクセスログが読者分析の主役でした。
IP・User-Agent・Refererをもとに、どのページが読まれ、どんな検索経由で来たのか、読者はおおよそ推測できたのです。
しかし、現代のアクセスの大多数を占めるのは次のような存在です。
- AI企業や一般企業によるクローリングボット
- 通常のボットでありながら、User-AgentやIPを変えて人間のフリをするもの
- ページ取得後のJavaScriptも実行できる進化したボット
著者はこれについて、「インターネット・ボットの“変身”が著しいために、アクセスログで人間を見分けることが難しくなった」と述べています。
2. JavaScriptベースのアクセス解析も突破される時代
現代の主流はGoogle Analytics等に象徴されるようなJavaScriptベースのアクセス解析です。
ユーザーのブラウザでJavaScriptを実行し、そこでさまざまな指標(ページ滞在時間・クリックイベントなど)を取得。
取得されたデータはAPI等で解析サーバーに送られます。
“Today’s web access logging uses JavaScript… this is how, for example, Google Analytics works.”
しかし、この手法も万能ではありません。
著者も指摘するように、「近年のボットはJavaScriptさえも実行可能」(“the fancy bots run JS too”)なため、人間とボットの区別はさらに困難です。
3. “非JavaScript系”の手法も困難
「JavaScriptに頼らず、目に見えない画像をページに埋め込み、そのアクセスで人間のアクセスを検出する」という手法も有名ですが——
“Bots these days are interested in images too.”
現代のボットは画像もクロール対象とするため、この手口も突破されています。
「人間らしさ」を計測する意味と、詰みの局面
「3秒ルール」で人間を判別……それでもボットはやってくる
著者が試した一例が、setTimeoutを使って、
“record the page load as a visit if the browser hung around for three seconds.”
(訳:訪問後、ブラウザが3秒以上そのページに留まった場合のみ、そのトラフィックを“訪問”として記録する)
というアプローチ。
「ボットはページに居座ることなくすぐ離れるだろう」という仮説に基づくものですが、
著者はすぐに
“I spotted the Baidu bot fetching my homepage and then three seconds later fetching the logging endpoint. Is it possible they’re actually running the page script and waiting? Maybe I need a longer timer?”
(訳:Baiduのボットが、トップページを取得後3秒経ってからロギングエンドポイントにもアクセスしているのを目撃しました。本当にスクリプトを実行して待機しているのかもしれません。もっと長いタイマーが必要?)
と疑問を呈しています。
この実験結果が示すのは、
現代の洗練されたボットは「タイミング」も「JavaScriptの実行」も自在にコントロール可能、という現実です。
ボットのエンジニアたちもまた「人間らしさ」を模倣することに労力を注いでおり、ウェブ運営者の「人間検出技術」を逆に利用するレッドクイーンゲームになっています。
RSS・フィードリーダー読者の“不透明性”
なお、記事はRSSフィードリーダーによるアクセス——いわゆる“読者が何人いるのか本当にわからない”という悩みにも触れています。
“Some feed readers, when they fetch the feed, report how many subscribers they are acting on behalf of. Is that a count of human readers? I don’t think so. When I used a feed reader in the past, I had subscriptions I sometimes didn’t read.”
RSSのフィードリーダーは複数人分の購読情報をまとめて取得してくるため、数字自体に信頼性がない上、「登録済みだけど読まれていない」死蔵サブスクライバーも存在します。
技術的な行き詰まり——この問題の“本質的な意味”とは?
記事が本当に伝えたい要旨は、次の一文に集約されています。
“This problem is an instance of a bigger pattern you might encounter in engineering: sometimes when you get down to implementing a measure, you find an endless maze of increasingly confusing corner cases.”
どんなに「厳密」「網羅的」な計測や検出手法を開発しようとしても、人間の行動や意図のすべてを技術的にトラックすることは不可能だ——という現実です。
例えば、以下のような問いは“そもそも”技術的にはキャプチャできません。
- 疲れて読まずに離脱した“実質見てない読者”はカウントするのか?
- 瞬時に目的情報を取得してページを離れたユーザーは“読者”なのか?
- ページを紙に印刷して読む人にはどうやってアクセス券を与えるのか?
いかに計測手法が進化しても、「人間の行動=単なるログの数字」にはならない、という本質的な限界を今一度認識する必要があります。
ブロガー・ウェブ運営者への“救い”はどこに?
1. 客観指標の“呪縛”から自由になろう
ウェブのアクセス記事やPV(ページビュー)、UU(ユニークユーザー)といった数値は確かに資料価値があります。
しかし同時に、その指標だけに縛られすぎるのは本質的な目的(たとえば「共感してくれる人とのつながり」や「情報発信の記録を残すこと」)を見失う危険に溢れています。
著者自身も
“What these kinds of problems can indicate is that you need to take a step back and reconsider what your real objective is. What is my objective? I think I write this blog for two reasons.”
と立ち止まっています。
2. 社会的な「人同士のコミュニケーション」重視という選択
現代のウェブ運営では、「アクセス=人間」ではなく、
– 直接のフィードバック(メール・コメント・SNS投稿など)
– 繰り返し来てくれる熱心なファンとの繋がり
– “自分が伝えたいことを書き残す”という表現本位の動機
などに目を向けることの重要性が高まっています。
たとえば、
– コメント欄での具体的な質問やツッコミ
– 記事が他のサイトやSNSに言及される頻度
– 作者自身の満足感や達成感
などは、単なる「PV」でははかれないが、非常に価値ある「手応え」となります。
3. 「不可視な読者」こそが支えている場合も
印刷して読む、RSSで読む、ブラウザの“リーダーモード”で広告ブロックして読む……など、技術的にトラッキングできないスタイルの読者も今後ますます増加していくでしょう。
しかし、こうした「サイレント・リーダー(不可視な読者)」こそが実は熱心なファンであり、ウェブ文化の要であることもしばしばです。
結論:「数字に振り回されず、目的と価値を問い直す」
このAccess Logging in 2025の記事を通じて改めて突き付けられるのは、「技術が進化しても人間の“存在”は容易には数字化できない」——という事実です。
私たちブロガーやウェブ運営者は、アクセス解析の数字だけに頼ることなく、
– 読者との直接的なやりとり
– サイトの長期的な意義、個人の満足
– 技術的な“詰み”を認め、むしろ創造的な発信(例:メルマガ、コミュニティ運営、オフラインイベントなど)へと重心を移す
といったアプローチを積極的に探る時代に突入しています。
「誰が読んでいるのか」を“完璧に”知ることはもはや望めない。
けれど、「何のために書き」「どんな価値を生みたいか」を問い直すことで、
アクセス“迷宮”を嘆くのではなく、“発信者としての醍醐味”を謳歌することができるのです。
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