この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
Cardiologists and Chinese Robbers (2015)
衝撃的な「悪者」リスト、その背後にあるものは?
突然ですが、「心臓専門医(循環器科医)は実は問題だらけだ!」――あなたはこうした見出しの記事を目にしたら、どう感じるでしょうか。
『Cardiologists and Chinese Robbers』という記事は、次々に実名を挙げて、「不必要な手術で金儲けした心臓専門医」「セクハラ・犯罪で訴追された医師」など、心臓専門医による醜聞の数々を列挙していきます。
確かに驚くべき、げんなりするエピソードが続きます。
“Maryland cardiologist performs over 500 dangerous unnecessary surgeries to make money. Unrelated Maryland cardiologist performs another 25 in a separate incident. California cardiologist does “several hundred” dangerous unnecessary surgeries and gets raided by the FBI. Philadelphia cardiologist, same. North Carolina cardiologist, same. 11 Kentucky cardiologists, same… Michigan cardiologist was found to have done $4 million worth of the same. Etc, etc, etc.”
「メリーランド州の心臓専門医が金儲けのために500件以上の危険な不要手術を行った。別のメリーランド州医師も25件。カリフォルニアでは数百件でFBIが捜査…フィラデルフィアでも、ノースカロライナでも…ケンタッキーでは11人も同種の不祥事…。私の勤務先近くでも、ミシガンの医師が400万ドル相当の違法手術をしていた…等々。」
このような具体例をバンバン示されると、「心臓専門医って問題ある職業集団なんじゃ?」と強く思えてきてしまうはずです。
「中国人強盗の誤謬」――統計的無知につけ込むロジック
ですがこの列挙は、ある深刻な「誤謬(fallacy)」の典型例だと、記事は警告します。
それが「Chinese robber fallacy(中国人強盗の誤謬)」と呼ばれるものです。
記事では、Alyssa Vanceの考えを引用し、こう述べています。
“..where you use a generic problem to attack a specific person or group, even though other groups have the problem just as much (or even more so). For example, if you don’t like Chinese people, you can find some story of a Chinese person robbing someone, and claim that means there’s a big social problem with Chinese people being robbers.”
つまり、「他の集団にも同じぐらい見られる一般的問題を(特定の人や集団を叩くために)その集団固有の悪習や犯罪だ、と思わせるやり方」です。
この誤謬に騙されると、「ある集団」に属する悪しき事例を多数連ねて見せられた時、我々は簡単に「やっぱりこの集団には根本的な問題がある」と信じてしまいます。
しかし、元データ――「全体で何人いるのか」「どのくらいの頻度なのか」「他の集団と比べて多いのか」――がなければ、単なる列挙は何も証明しないのです。
例として、十億人規模の中国人のうち、「0.1%が強盗」だった場合、それだけで100万人分の事例を挙げられてしまいます。こうした「母集団の規模」と「ベースレート(基準発生率)」の無理解が、この誤謬を生みます。
同じく心臓専門医についても、全国に何万人・何十万人も存在し、しかも報道価値の高いトラブルは意識的にピックアップされているにすぎません。
メディアが煽動的事例列挙で私たちを思考停止にさせるメカニズム
著者はさらに、「警察への暴力」「テック業界のセクハラ」など他の話題についても全く同じ論理で世論が誘導されていると指摘します。
「警察官殺害事件」が連日ニュースになると、多くの人は「今アメリカでは警察が危険に晒され、戦争状態だ!」と思い込みます。
けれども、データ(例えば人口比や100年以上のトレンド)で見ると、実は2013年・2015年は「過去125年間で最も警官にとって安全な年」だといいます。
“According to data available from the “Officer Down Memorial Page” … the years 2013 and 2015 will be the two safest years for police in US history, measured by the annual number of firearm-related police fatalities per 1 million people.”
「警官が人口100万人あたり銃撃死する件数で見ると、2013年と2015年はアメリカ警察史上もっとも安全な年となるだろう。」
こうした基準情報、「母数」や「発生率の推移」を無視して、一部のインパクトある 事例「だけ」で大問題のように見せかける…。
これが、「中国人強盗の誤謬」の威力であり、まさにジャーナリズムの負の常套手段です。
この構造は、「テック業界の性差別」や「警察の人種差別的暴力」報道にも当てはまります。
著者は、例えばシリコンバレーに「テック系労働者が何百万人いるのか」「どのぐらいが不適切行動を行っているのか」「他業界との比較は?」など、きちんと割合(率)に還元しない主張に対して根本的な疑義を投げかけています。
取材や数字を見る時、私たちに求められる視点
ここで重要なのは、私たちが「サンプル数の多さ」「エピソードのインパクト」だけで全体像を判断してしまいがちだという認知上の弱点に気づくことです。
統計リテラシーの普及が叫ばれる現代ですが、現実の意思決定や世論形成の場面では、依然として「事例の連発=傾向や事実の証明」と捉えがちです。
例えば、100万人規模の従業員を持つ巨大産業において、「50人の不祥事」があった――とだけ言われて多いか少ないか正しく判断できる人間はほとんどいません。
また、そもそも「定義」(何を“問題事例”とするか)による数字の操作、「タイムラインを切り取る恣意性」、国や業界ごとの母集団の大きな違いなど、本質的な比較は決して単純ではありません。
さらに、本来なら「他業種(他国)と比べて実際に有意に多いのか?」といった「ベースライン」や、「推移」に即して検証すべき事柄でも、センセーショナルな例示の前に思考停止しがちです。
著者が最後に明かすカラクリとして、心臓専門医について一見問題集団のように思わせておいて、実は「完全に無作為に選んだだけ」であること。
さらに「どんな集団でも、事例列挙の仕方次第でパブリックイメージは簡単に歪められる」ことが、この記事(とあなたの錯覚)自体を証拠として突きつけています。
“If you read Part I of this post and found yourself nodding along, thinking “Wow, cardiologists are real creeps, there must be serious structural problems in the cardiology profession, something must be done about them,” consider it evidence that a sufficiently motivated individual – especially a journalist! – can make you feel that way about any group.”
「Part Iを読んで『やっぱり心臓専門医はおかしい! 構造的問題だ!』と思った人は、“十分に動機を持った人間(特にジャーナリスト)はどんな集団であっても同じようなレッテル貼りができてしまう”という証拠を自ら提供しているのだ。」
本当に「問題が深刻」なのか? 事例ではなく「率」で見る思考のすすめ
この指摘は、現代のメディア環境において、私たち一人一人が自衛策として持つべき批判的思考(クリティカルシンキング)の訓練とも言えます。
単一の事件、複数の事例、過去の“累積件数”――それ自体で問題の深刻さを論じるのはきわめて危うい。
本当に構造的な問題なのか、「全体」の中での頻度はどうなのか、「他の集団と比べて有意に高いか」……そうした「率」や「比較」を常にセットで考えることが重要です。
具体的には、
– 「事件例はいくつか?」だけでなく「全体の何パーセントか」「他集団との差は?」
– 「最近報道が増えた=件数自体が増加した」とは限らない。もしかすると報道量と実際の発生件数は連動していない
– 検索件数、見出し数、SNSで流れる頻度…は「興味やバイアスの反映」であって、現実の頻度そのものではない
こうしたポイントを踏まえ、ニュースや主張内容を見る訓練を意識していくべきでしょう。
また、これは単なる「煽情的報道の見破り方」であるだけでなく、データに基づく健全な政策議論や社会的合意の形成に不可欠な素養でもあります。
終わりに――「データで考える習慣」は公共空間を守る
本記事『Cardiologists and Chinese Robbers』は、エピソードの連発による世論形成というメディアの危陥を、巧妙かつ皮肉たっぷりに示してくれました。
結論として、読者のあなた自身が、
– 「いくつの事例があるか」より「いくつの事例『率』なのか」
– 「他と比べて多いのか」
– 「過去/他国との比較で傾向はどうか」
といった視点で、報道・主張に触れることが、時代を見抜く鍵なのです。
私たちは容易に、「中国人は強盗が多い」「心臓専門医は腐敗している」「○○業界のセクハラは異常だ」といったステレオタイプに流されがちです。
実際には、「十分な動機を持つ語り手」は、どの集団についても同じような負のイメージをつくりあげることができる――この「メディア・リテラシー」の根本に、本記事は警鐘を鳴らしているのです。
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