科学者たちはなぜ「政治の罠」に苦しむのか?――米国科学界の苦闘とその深層を読み解く

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この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
Scientists Are Caught in a Political Trap


今、科学はかつてない政治危機にある―米国科学界の現状

近年の米国では、「科学」と「政治」、この2つの領域がこれまで以上に鋭く衝突しています。
とりわけ2025年現在、トランプ政権下の政策や発言によって、政府科学者や研究機関は重大な圧力に晒されています。
科学者から見れば、これは“科学の独立”が危機に瀕している非常事態です。

The Atlanticのこの記事は、米国の科学者たちが「政治化」という巨大な“罠”にはめられつつある現状を、「現場の声」や具体的事例も交えて描いています。
この問題は日本の読者にも示唆が多いものです。
そこで今回は、この記事の主張を紹介しつつ、その背景や意義、そして私自身の考察を加えながら、現代の“科学と政治”の関係についてじっくり考えていきます。


政治と科学のねじれ現象――「科学は誰のものか?」

まず、記事が鮮烈に描くのは、米国の科学が強烈に政治の力学に巻き込まれている実情です。

“As the Trump administration has fired vaccine advisers, terminated research grants in droves, denied the existence of gender, and accused federal scientists of corruption while publicly denigrating their work, the nation’s leaders have shown that they believe American science should be done only on their terms.”

(訳:トランプ政権はワクチン助言者の解雇、大量の研究助成金の打ち切り、ジェンダーの存在否定、連邦科学者への汚職の糾弾と公開の場での侮辱を繰り返し、米国の科学は為政者の思うがままに行われるべきであるという考え方を示してきた。)

この記述は、米政権による直接的な科学者への攻撃を端的に示します。
特にワクチンの専門家やジェンダー分野の研究者、政府系の医学・健康機関に対して、予算や職の面で圧力をかける。
こうした政策的介入に対し、科学界側も「サイエンス・マーチ」や訴訟、独自審議会の設立など、様々な手段で反撃し始めていると記事は報じています。


科学者の「反撃」は逆効果なのか?――意外な“ジレンマ”

興味深いのは、そうした反撃自体が科学者にとって“両刃の剣”であることを、多くの専門家が指摘している点です。
記事内では、こう指摘されています。

“Their goal is to defend their work from political interference. ‘If scientists don’t ever speak up, then the court of public opinion is lost,’ one university dean, who requested anonymity to avoid financial retaliation against their school from the federal government, told me…But in retaliating, scientists also run the risk of advancing the narrative they want to fight—that science in the U.S. is a political endeavor, and that the academic status quo has been tainted by an overly liberal view of reality.”

(訳:科学者が声をあげなければ、世論の舞台は失われる。しかし、反撃すればするほど「科学は政治の道具に過ぎない」「リベラルな世界観に汚染されている」といった、まさに自分たちが否定したいナラティブに加担してしまうリスクがある。)

要は、“黙れば黙ったで政権の思うつぼ”、“声をあげれば今度は科学自体が「政治化」したと非難される”という、まさに逃げ場のない「キャッチ22(袋小路)状態」が生じているのです。


なぜ科学は「中立でいられない」のか?――歴史的背景と米国政治のリアル

日本でも「科学は客観的で政治から独立している」というイメージが強いですが、米国ではとくに、科学の予算も制度設計も、最終的には政治家が握っています。
記事は歴史的事実として、近年になって「気候変動」や「ワクチン」など特定の科学的トピックが政治対立の道具化された経緯を示します。
さらに、

“For decades, science in the U.S. has enjoyed bipartisan support….over the past 40 years, Republicans have appropriated more money to science than Democrats.”

一方で、“The Trump administration ‘has been pouring gasoline’”という表現もあり、ここ数年(おもにトランプ政権期)の科学敵視・政治化はそれまでとレベルが違うと、社会心理学者アジム・シャリフ氏が分析しています。

米国において、科学の信頼性自体が「保守vsリベラル」の文脈で語られるようになったのは、70年代以降といわれます。
21世紀になって特に、気候変動疑義論やワクチン忌避が急速に「党派性」を帯び始めたのです。
本来は「共通の土台」であるはずの科学知見すら、分断の火種となってしまう現実――。
これは単なる偶然ではなく、利益誘導や宗教的世界観、メディアの“炎上経済”といった多様なファクターが絡んでいます。


現場科学者の苦悩――「私たちは政治家じゃない」

注目すべきは、「科学者自身が“政治的に見られたくない”」と強く願っている点です。

“Many of the scientists I spoke with for this story insisted that they didn’t feel their actions were political—and expressed concern over them being perceived as such. …‘We have not made this political,’ Susan Kressly, the president of the American Academy of Pediatrics…told me. ‘It is the politicians doing that.’”

(訳:取材した科学者の多くは、自身の行動が政治的だとは考えていない、むしろ政治的だと思われることを強く懸念している。「科学を政治化しているのはわれわれではなく、政治家の方だ」と。)

皮肉なことですが、どれほど「根拠に基づいた提言」であっても、それ自体が“政権批判”や“政争の具”として拡大解釈されてしまう。
実際、記事後半では「科学者によるアクティビズム(社会運動)の扱い」でさえ二重の意味が付与されてしまう苦しみを描いています。

しかも、現場の科学者には安全リスクすら及び始めています。
ワクチン政策をめぐる事件で連邦健康機関に襲撃事件が起き、死者まで出たことも淡々と触れられていました。
にも関わらず政権高官はほとんど反応を示さず、逆に政府批判を強めるという惨状――。
社会の分断が物理的な暴力にも発展しつつあることは、深刻と言うしかありません。


科学者の主張は“左翼的”か?――データが突きつける現実

記事中で挙げられる一連の世論調査/統計は、米国社会の党派分断の深度を浮かび上がらせます。

例えば「連邦健康機関の人員や予算削減」に対して、共和党支持者の多くが賛同し、民主党支持者のほとんどが反対した――という調査結果。

また、科学者層自体が長期的傾向として“民主党寄り”になりつつあること。
小児医学などワクチン関連部門では特にその傾向が強いことも指摘されています。

実際、保守系の論者にとっては「科学エスタブリッシュメント=リベラルの砦」と見え、
それがますます科学予算や研究成果に対する不信・反発につながっている。

さらに一部科学者は、政界進出や政治的アクティビズム(例・共和党政権批判や民主党議員出馬など)に活路を見出す動きもあるとされています。
しかし、社会心理学のアジム・シャリフ氏の分析では

“Even when politicization aligns with their own beliefs—‘people don’t like to see their science politicized,’…They lose trust in it.”

(訳:自分の信念に沿う内容であっても、「科学が政治化された」と感じると、人々は科学への信頼を失う)

つまり、“科学の政治武器化”が進むほど、結果的には科学自体への信頼が大きく失われる…という厳しいパラドックスが、米国社会で同時進行的に進んでいるわけです。


私自身の考察:「科学の政治化」は不可避か?危機を乗り越える道はあるか

ここまでの記事の問題意識を踏まえて、私なりに整理・考察したいと思います。

1. 「科学の政治化」はゼロにできるか?

歴史的に見ても、完全に“政治から独立した科学”というのは存在しません。
新薬の承認基準も予算配分も、最終的には法令や政府決定に従う。
その過程で、特定のイデオロギーや圧力団体の意向が反映されるのは避け難い事実です。

とはいえ、ここ数年の米国のように「科学者個人」への人格攻撃や物理的暴力、科学的根拠の完全否定が横行するのは、リベラル・保守を問わず社会全体の損失と言えるでしょう。
メディアやSNSの影響力拡大のなか、情報の“二極化”がむしろ科学の「事実認定能力」自体を弱体化させます。

2. 科学者はどう「対話」するべきか?

記事でも触れられている通り、“政権側が介入してきた時に一切声を上げない”のは、「政府に都合の良い情報独占」を許すのと同じです。
同時に、声をあげすぎれば「政治活動家」扱いされて科学の権威を損なう…このジレンマはどうしても避けられません。

私見ですが、「専門領域以外への言及は極力抑えつつも、科学的根拠の説明責任はこまめに果たす」「党派性でなく“制度・透明性”への訴えとして発信する」など、科学コミュニケーションの緻密な設計がより重要になる時代だと思います。

その意味で、「根拠だけを静かに提示していれば良い」という段階はすでに過ぎてしまいました。
科学コミュニケーションは、「事実の提示」+「社会の信頼の再構築」という両輪で、新しいスタンダードを模索すべき時代に入っているのです。

3. 日本社会ではこの問題をどう捉えるべきか?

コロナ禍以後、日本でも“専門家の発言”が政争化する構図は徐々に目立ち始めています。
米国ほど党派対立の色は濃くありませんが、行政意思決定への科学的助言や、リスクコミュニケーションの在り方に激しい批判が集まった事例は枚挙にいとまがありません。

私たち市民は、「科学の言葉もまた政治的背景抜きでは存在しえない」という現実を直視する一方で、
“科学的な論点は誰にとっても現実のリスクや利益に結びついている”というシンプルな事実も忘れてはならないはずです。


まとめ:科学と政治の対話――私たちにできること

最後に、この記事から引き出せる最も重要な教訓は何でしょうか。

科学は本来、党派や信条を超えて「より良い未来のための“共通土台”」であるべきです。
しかし現実には、科学の知は政治的なパワーゲームの中に巻き込まれ、時に信頼や権威が脅かされます。

重要なのは、科学者・政治家・市民――この三者の「対話の質」をいかに高めるかです。
科学者は説明責任と社会との意思疎通能力を、「政治家」は科学的根拠を尊重する姿勢を、「市民」は党派的声高な物言いに踊らされず情報の真贋を主体的に見極める力を――。
どのプレーヤーにも、自問すべき責任があるのだと思います。

つまり、この記事の示す暗い現実を“対岸の火事”とせず、どの国でも起こりうる「科学と政治のカオス」に対して、社会全体で成熟した対応力を育てていかねばならない時代なのです。


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