この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
Myths and Lessons from a Century of American Automaking
「自動車産業は終わった」は本当か?──冒頭から挑発的な問題提起
保護主義者にとって、自動車産業ほど都合の良い「被害者」はありません。
「グローバリゼーションがアメリカを破壊した」という主張は、右でも左でも政治的に強力な材料として使われてきました。
この記事では、トランプ政権の自動車輸入への25%関税が正当化されたその理屈──「アメリカ自動車産業の長期衰退」を真正面から疑問視し、4つの神話をデータと歴史分析で徹底的に検証します。
主な論点は次の4つです。
- 米自動車産業は壊滅した
- グローバリゼーションがデトロイトの死を招いた
- 日本製自動車の輸入が80年代初頭、自動車産業を壊滅させた
- 保護政策が(せめて)産業の救済に貢献した(かも)
これら全てに対し、「事実も歴史の読み方も間違っている」と筆者は断言します。その上で、次のように述べます。
“Once these myths are set aside in favor of a clear, accurate understanding of the auto sector and its history, there is no reason to be optimistic that the Trump administration’s protectionist approach to the sector will work as intended. Indeed the case for it falls apart entirely.”
これらの神話を脇に置いて、自動車産業とその歴史を正確に把握すれば、トランプ政権の保護主義政策の成否に期待すべき理由はない。むしろその論拠自体が完全に崩れてしまう。
なぜここまで自信満々に「保護主義の神話」を否定できるのか?
以下、各論点を整理しつつ、現実の自動車産業とグローバル経済の関係性をわかりやすく解説していきます。
「産業の壊滅」という誤解──データが示す意外な現実
まず最も多く語られる神話が「米自動車産業の壊滅」説でしょう。
確かに一部製造業(とくに繊維・被服など)は中国ショック等で急激な縮小を経験しました。
しかし、自動車産業は例外的です。
“But the domestic auto industry is different. It remains alive and well, with 10.5 million vehicles assembled in American factories last year. This number is down from the peak of the post-NAFTA boom period, but it is well above the depressed years of the 2000s and nearly equals the average of 10.3 million annual vehicles made in the pre-NAFTA period dating back to 1969.”
米国工場で昨年組み立てられた自動車は1,050万台。これはNAFTA後のピーク時より減っていますが、2000年代の不況期より大幅に多く、1969年以降のプレ・NAFTA平均(年間1,030万台)とほぼ同水準です。
生産量だけでなく、雇用の観点でも実は大きな変化はありません。
“The auto industry today employs 1 million workers. Between 1950 and the signing of NAFTA in 1993, it averaged 1.1 million workers, just slightly higher.”
現在、自動車産業は100万人を雇用。1950年~1993年の平均110万人と比較しても減少幅はごくわずかです。
つまり、「壊滅どころか安定的に推移し、むしろ近年の生産付加価値や工業生産指数は過去最高を記録している」のが現実なのです。
従来イメージされてきた「製造不況」の図式がそのまま自動車産業にも当てはまるわけではないことが、最新データで明らかになっています。
デトロイトの衰退=産業の衰退、という誤算
それではなぜ「自動車産業=デトロイトの失われた繁栄」という思い込みが広まったのでしょうか?
“But we are left with a puzzle. The perception that the auto industry has been decimated — and decimated specifically by globalization — is widespread. Where does it come from?”
「自動車産業が壊滅した」との認識が幅広く共有されていますが、その源泉はどこにあるのでしょう?
実は、「デトロイト衰退」という現象は、より複雑な内部要因──特に全米規模での産業の移動や、地域労組との摩擦──によって起こったものであり、グローバル化の直接的な帰結ではありません。
- 1950年、デトロイト市の自動車製造雇用はピーク(22万人超)。
- 1970年までに半減、100,000人未満に減少。
- 実際には、失われた雇用はミシガン州内の他都市や南部諸州など、州外や全米各地に分散して再配置された。
“An important nuance is that many of these lost jobs migrated to other parts of Michigan, at least for a while. So while auto employment was collapsing in Detroit, the rest of Michigan managed to hold auto employment stable for another five decades until the 2000s, when it started falling everywhere in the state.”
デトロイトで雇用が激減しても、州内・州外への分散で全体の雇用はしばらく維持されました。
また特筆すべきは「内部競争の激化」であり、フォード・GM・クライスラーの「ビッグ3」でさえ1950年代には南部や東部諸州へと工場を移転、分散投資を進めていました。
これは地域労組(たとえばUAWローカル600)のストライキや労働争議による生産リスクの回避も大きな動機となっています。
こうした産業の「地理的再編」は、グローバル化以前にすでに始まっていたわけです。
したがって「デトロイトの死=産業全体の死」ではなく、「ローカルな都市衰退と全米産業の動態」は明確に分けて考えるべきだと言えるでしょう。
日本車ショックの実像──本当は「需要崩壊」が主因だった
1980年代初頭、日本車の台頭と輸入急増、そして米国の自動車不況が広く結びつけて語られることが多いですが、現実はむしろ「景気ショック」の影響が圧倒的でした。
“But despite the globalization of the industry, the steep rise in imports had failed to devastate American producers. Instead, domestic production and employment from the late 1960s to the late 1970s had risen together with imports.”
輸入車の急増にも関わらず、1960年代後半~70年代末までは国内生産・雇用も伸びていました。
実際の危機は「1979~1982年」の4年間で、40万超の自動車労働者が職を失い、国内生産台数も半減。
このとき「日本車が悪者だ」という批判が高まりましたが、核心にあったのは「原油ショック→インフレ→金利急騰→景気悪化→消費需要激減」というマクロ経済要因でした。
著者は次のような反実仮想を示し、直接的な輸入増が主犯でなかったことを証明しています。
“If total sales are not controlled for, higher imports are correlated with higher domestic production. A good market swamps everything, benefitting producers both domestic and foreign.”
「全体の売上をコントロールしなければ、輸入増は国内生産増と相関します。需要旺盛な市場では、内外とも利益を享受する」
つまり問題は「競争」そのものではなく、「景気」という大きな波なのです。
この時期、国内メーカーは小型・省燃費車の開発/供給の遅れも痛手でした。
加えて、長期間の競争なき寡占状態が硬直化やコスト高騰を生み出し、構造不況の温床となっていました。
保護主義政策は「産業を救った」のか?──皮肉な教訓
1981年、レーガン政権は日本車の輸入自主規制(VER)を導入、「ビッグ3」への「呼吸する余地(breathing room)」を設けることを狙いました。
だが、そのタイミングや効果について著者は冷静に次のように指摘します。
“While the improved economy and industry adjustments put an end to the crisis for the Big 3, it’s far less likely that VER played much of a role. The policy had little impact until the crisis was already over.”
経済回復と産業改革がビッグ3の危機を終焉させたが、VERの効果は危機後になってようやく現れたにすぎない。
むしろ消費者は価格上昇の負担を強いられ、長期的な製造移転やイノベーション進展にも遅れが見られました。
また、「日本メーカーの国内工場建設はVER政策の成果」という語りにも疑問符が付きます。
記事では、すでに1970年代から現地生産(例:ホンダのバイクやボルボのGDP規模を超える投資計画など)が始まっており、「一定の需要と効率的生産規模が成立した市場では、どのみち現地生産に投資するのが合理的だった」という経済原則が働いていたと解説しています。
“Japanese automakers were coming because they were producing hit cars, and it is simply good business to make hit cars near the customers. At best, VER might have slightly accelerated a process that was occurring anyway…”
ヒット車を持つメーカーは、需要のある市場で生産拠点を設けるのが「普通の経営判断」。仮にVERで一時的に生産移転が早まったとしても、それはすでに起こるべきことでしかなかった。
このように、「保護政策が産業の立て直しや成長を促した」という俗説は、データと歴史事実の双方から明確に否定されます。
私見:現代の日本・世界の論争への含意
自動車産業は象徴的な存在なだけに、経済ナショナリズムや雇用保護論が高まった時には必ず論争の的となります。
しかし、今回の記事が示すのは「産業衰退論や保護政策成功例と目されてきた事例の多くが、実は単なる『神話』に過ぎなかった」という現実です。
日本でもEVシフトや中国バッテリー業界包囲網、サプライチェーン見直し等の流れの中、しばしば「内製回帰」「国内工場の守備強化」あるいは制裁関税といった議論が熱を帯びます。
しかし、その是非をめぐる議論では、短絡的な「過去の物語」の焼き直しに陥らず、データと経済合理性──「何が需要を決定し、どこにイノベーションや雇用が生まれるのか」を冷静に検証する態度が不可欠です。
また、対中政策でも「自動車とかつての家電、繊維が同じ『守るべき産業』か?」は異なる次元の問いです。
歴史的に構造転換が必ずしも「国の弱体化」を意味しないどころか、新しい産業集積や移転によって全体の経済力や付加価値が維持・増強された事例が多いことも再認識する必要があります。
結論:保護主義神話から脱却し、現実と向き合おう
筆者の言葉を借りれば、
“A clear and accurate understanding of the past reveals the flaws in the policies of the present.”
過去を正しく把握することが、現在の政策の誤りをあぶり出すのだ。
今なお、米国では「デトロイトの没落」をグローバル化批判と関税容認への根拠として持ち出す声が絶えません。
ですが、その多くは「過去の誤った物語」に基づくものであり、データにも経済合理性にも裏付けを欠いていることがこの記事から分かります。
日本や世界の企業経営者、政策担当者、そして消費者もまた、「保護主義は即ち経済成長や雇用保障にはつながらない」「産業集積や生産・雇用は決してゼロサムの移動だけではなく、地理的にも技術的にも新しい創造を伴い続けてきた」と冷静に捉え直すべきです。
安易な「XX神話」に流されるのではなく、根拠ある事実と複眼的視点をもって議論する──。
それが今、この時代にこそ求められる「歴史に学ぶ姿勢」だと、この記事は強く示唆しています。
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