この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
In Pictures: The race to discover the secrets of DNA
革命的発見の裏側――写真と手紙が語る、DNA構造解明のレース
DNAという言葉は、現代人なら誰もが耳にしたことがあるでしょう。
遺伝情報の担い手として、医療・生物学から犯罪捜査、自己アイデンティティの議論まで幅広く登場するこの単語ですが、その構造が明らかになったのは、今から70年以上も前の1950年代のことです。
今回紹介するBBCの記事「In Pictures: The race to discover the secrets of DNA」では、当時の科学者たちがDNAの姿を追い求めて繰り広げた“競争”の、意外な舞台裏を、貴重な写真や手紙とともに掘り下げています。
この記事では、就中4人の研究者――ジェームズ・ワトソン、フランシス・クリック、モーリス・ウィルキンス、ロザリンド・フランクリン――の交錯する人間模様や、決定的な証拠となったX線写真の逸話、有名な“ノーベル賞問題”まで、単なる技術的発見にとどまらない深い人間劇が描かれています。
「ダブルヘリックス発見」その舞台裏――熾烈だが友情もあった科学者同士の競争
BBCの記事は、次のように当時の情景を紹介しています。
“The legendary race to uncover its structure began when American biologist James Watson (right) arrived at the University of Cambridge. Here he met Francis Crick (left), an English physicist. In 1951, the two began building scale models to test their ideas at the Cavendish laboratory.”
すなわち、ワトソンとクリックがケンブリッジ大学でコンビを組み、模型作りを通じてDNAの構造に迫ったというのが発端となっています。
一方、同時期にロンドンのキングスカレッジでもウィルキンスとフランクリンがX線回折写真を用いながら独自アプローチで研究を進めていました。
両チームは競争関係であったものの、個人的には友好的なやりとりを交わしていたとのこと。
記事によれば、
“The two teams competed against each other to discover the secrets of DNA. Yet they remained on friendly terms throughout. Francis Crick (Cambridge) and Maurice Wilkins (London) wrote to each other regularly.”
つまり、今でいう“ライバルだけどリスペクトし合う”関係だったことが伝わってきます。
“写真51”の衝撃と、ロザリンド・フランクリンの「見えない貢献」
科学史の中でも屈指の有名エピソードが、“写真51”――フランクリンとその同僚が撮影したX線写真です。
BBCの記事から引用すると、
“Rosalind Franklin’s work with x-rays was critical to the eventual discovery of the structure of DNA. In 1952, her King’s College team took this famous image, known as ‘Photo 51’. It appears to show ‘rungs’, like those on a ladder, set between two strands. The fuzzy “X” pattern was a big clue to DNA’s helix-like shape. A year later, Maurice Wilkins showed James Watson the image, seemingly without Franklin’s knowledge.”
“写真51”のX印が、DNAがらせん構造であるという決定的なヒントを与えた、とされています。
しかしここで問題となったのは、その写真がワトソンたちに“フランクリン本人の承諾なしで”見せられていたという事実です。
今でこそ「公平な功績配分」が強く求められますが、当時はそのあたりが曖昧でした。
“Rosalind Franklin was cheated of the glory?”という議論が今なお続くことは、科学界にとって痛恨のテーマなのです。
“モデルとデータ”――異なるアプローチが生んだ発想の飛躍
ワトソンとクリックの手法は、”分子模型を組むこと”にありました。
多くの科学者が実証データに固執するなか、彼らは「パーツを並べ替え、既知の物理法則に従うかどうかを模型で直感的に検証する」というアプローチをとります。
これは、ある意味“常識を疑う”科学的思考の重要性を教えてくれる事例です。
彼らが決定的アイデアに至った場面を、BBCは以下のように描写します:
“Their crucial conceptual step was to suggest that the molecule was made of two chains of nucleotides, each in a helix as Franklin had found, but one going up and the other going down.”
つまり「二重のらせんで、それぞれ上下逆方向」という仮説。
後に彼らはこの発見について、こう述べます。
“James Watson, Francis Crick and Maurice Wilkins received the Nobel Prize for Medicine in 1962 for their discoveries concerning the ‘molecular structure of nucleic acids and their significance for information transfer in living material’. Rosalind Franklin had since died of cancer and was not able to share the prize. She was only 37 years of age.”
悲しいことに、フランクリンはノーベル賞受賞前に亡くなっており、“もし生きていれば受賞者だったはず”という意見も根強く残っています。
“科学の発見”の舞台は、白黒だけではない――功績と公平のジレンマ
今回の記事が示したもう一つの大きな示唆は、「科学的真実の発見」は純粋なロジックや個人の才能だけでなく、人間関係・組織・タイミング(運)・社会的背景など様々な要素が絡み合っている、という事実です。
現にフランクリンが自説に十分な確信を持てるまで発表を控えていたという逸話や(“She was sure that some DNA had a helical shape but was not ready to reveal her findings until she was convinced that all of it did.”)、
“誰の名誉か”よりも「いかに真理が社会にもたらされるか」を重視したウィルキンスのコメントなど、
“who the hell got it isn’t what matters”
発見のプロセスに潜む“公正・正義・コミュニケーション”の難しさがリアルに浮かび上がっています。
一方で、こうした「見落とされた功績」問題は現代科学でも繰り返し起きています。
たとえば、iPS細胞やブラックホール撮影など近年の大発見にも、“同じ現象を見抜いていたが機を逸した”研究者や、女性・マイノリティが正当に評価されなかったケースが見受けられます。
技術革新の陰にある“人間ドラマ”が科学を前進させた
「DNAの二重らせん構造」という一行で済まされがちな大発見ですが、
その裏には“情報の流出・功績配分・性別・異分野協働”といった現代にも共通するドロドロとしたテーマが詰まっています。
同時に、模型を作るという大胆な方法論や、
「あこがれ」の裏側にある科学者たちの友情、こだわり、そして苦悩といった“人間らしさ”こそが、未知を切り開く原動力になってきたと再認識させられます。
本記事から我々が学べるのは「歴史的発見も万能のヒーローが生み出すわけではなく、むしろ“未完成な人間たち”が対話や競争を通じて前進していった」事実です。
現代の科学に携わる人も、そうでない人も、“正しさ”と“公正さ”のバランス、その時代の文脈を問い直しながら
「未来の真実」をどう育てていくかを考えるきっかけにしてほしい――
それがこのBBC記事を読んで私が強く感じたことです。
categories:[science]

コメント