この記事の途中に、以下の記事の引用を含んでいます。
Mes chers: Geometry Processing of Impossible Objects
謎めく不可能図形——それを「3DCG上で扱う」本当の意味とは
皆さんは「不可能図形」と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。
ペンローズの三角形やエッシャーの階段など、誰もが一度は目にしたことがあるはずです。
これらの図形は、私たちの直感を揺さぶり「本当にこんなものが存在するのか?」と首をかしげさせます。
視覚芸術の象徴ともされるこの“不可能”は、果たしてコンピュータグラフィックス(CG)で“正しく”扱うことができるのでしょうか。
2025年、SIGGRAPHで発表された論文「Meschers: Geometry Processing of Impossible Objects」は、この難題に正面から挑み、まさにイノベーションと言える技術を提唱しています。
普通の3Dメッシュでは表現しきれなかった“不可能構造”を、独自のアルゴリズムと数学理論に基づき再現・処理できる、というのです。
「不可能なもの」を正しくCGで扱う──論文の大胆な主張とは?
本論文がまず鋭く指摘するのは、これまでのCG業界で“不可能図形”を扱うときの2つのアプローチ、それぞれの欠点です。
“Previous work embeds impossible objects in 3D, cutting them or twisting/bending them in the depth axis. Cutting an impossible object changes its local geometry at the cut, which can hamper downstream graphics applications, such as smoothing, while bending makes it difficult to relight the object. Both of these can invalidate geometry operations, such as distance computation.”
つまり、
– 単純に奥行きで「切る」方法は、後の処理(例えばスムージング等)で局所的な形状が台無しになりやすい
– 「曲げる」や「捻じる」手法では、照明計算(リライティング)が困難
この結果、「距離計算」などジオメトリ処理の根本的な操作すら“不正確”になってしまうのです。
そこで、新たに提案されたメッシュ表現――“meschers”――が登場します。
この表現は、伝説的な芸術家エッシャーの版画作品に登場するような“不可能構造”をも正確にPC上で扱える、という高い理論的裏付けを持つとのこと。
2次元+αのアプローチが“不可能”を可能にする!? ——Meschersの革新ポイントを解説
従来の3Dメッシュは、各頂点がXYZ空間上の座標を持つ「可能な世界」での表現でした。
しかしmeschersはそこから大きく舵を切ります。
“Unlike a typical mesh, which stores per-vertex 3D positions, a mescher stores per-vertex 2D screen-space positions and a per-edge depth difference. Whereas differences in depth across edges must sum up to zero as we travel around a standard mesh, this is not necessarily the case for a mescher. It is a mathematical way of describing the perceptual impossibility.”
要するに、
- “mescher”では、「各頂点の3D座標」そのものを保存せず、代わりに「画面(スクリーン)上の2次元座標」と「各辺ごとの奥行き差分(depth difference)」というセットで全体を構成します。
- 通常のポリゴン(立体)では辺を一周すると奥行き差分が必ず0になる(矛盾しない)が、mescherの場合はこの和が0にならないことで「不可能性」を再現できる。
この構造により、局所的には正しいけれど、全体としてはつじつまの合わない不可能構造を“数学的に正しく”捉え直すことが可能になります。
これが従来の“切る”“曲げる”といった荒っぽい(そして副作用の多い)手法との最大の違いです。
加えて、mescher方式では「離散外微分幾何(Discrete Exterior Calculus)」という高度な数理モデルを土台にしているため、
Laplace演算子など、従来のメッシュ解析で常用される“本格的なジオメトリプロセス”を違和感なく適用できる点も非常に画期的です。
アートか?応用か?「meschers」技術のインパクトと可能性
Meschersの魅力は単なる「表現力の幅広さ」に留まりません。
本記事では以下のように述べられています。
“We can now perform many standard geometry processing operations on meschers, such as mesh smoothing. Excitingly, we can also use inverse rendering to deform a possible torus to match a target image of an impossible triangle. As the paper demonstrates, the impossibility in the optimized result is real and measurable.”
つまり、
– mescher上でも(普通の立体メッシュのように)スムージングなどのジオメトリ処理がそのまま使える
– ある「不可能図形画像」に合わせて、可能な立体(例えばトーラス(ドーナツ型))を“逆レンダリング(inverse rendering)”して形を最適化できる
この“逆レンダリング”のアプローチは特に面白いです。
例えば「ペンローズの三角形」のような一見不可能な画像が与えられた場合に、
通常のトーラスをいかに“それらしい”不可能立体に“寄せていくか”という最適化が行えるわけです。
さらに、最終成果物が“本当に不可能なもの”かどうかを「数学的・計算的に検証できる」という点も、単なる“トリックアートを作りました”止まりではない大きなアドバンテージです。
「meschers」技術、私の視点からその意義と今後を考える
正直に言って、meschers技術のポテンシャルは計り知れません。
これまで数十年にわたり、3Dコンピュータグラフィックスは基本的に「可能な世界」のジオメトリ操作を対象として発展してきました。
その分、不可能図形やパラドックスを正しく再現しつつ、
同時に“ジオメトリ演算”を加える(例えば平滑化、距離計算、最短経路探索etc.)ことは限りなく困難でした。
ところがmeschersでは、「視覚パラドックス」を厳密に数理化したうえで、それを3D処理系の中に“新たな要素”として直接持ち込めるようになっています。
これは応用面でのインパクトも大きく、例えば――
- アート&デザイン:新たな錯視アート、エンタメ体験の拡充
- コンピュータビジョン:不可能図形イメージからの3D復元(inverse graphicsの進化)
- 心理学・認知科学:パラドックス構造の知覚研究への新しいアプローチ
- 教育: 幾何学や視覚トリックの教材としての利用
他にも、世界を“本質的に拡張”するメタバースや、視覚の拡張現実(AR)との親和性も極めて高いはずです。
同時に、meschersという“2次元的+局所3次元的”という中間的なデータ表現が、
今後のコンピュータグラフィックス理論をどこまで“拡張”するかは、今なお未知数です。
新しい次元の「視覚的現実」へ── meschersから学ぶもの
「目に見えるもの=存在しうるもの」という直感は、実はきわめて曖昧です。
多くの自然科学や工学は“物理的実在”に基づきますが、芸術やCGの世界では“存在を超える表現”が求められる場面も増えています。
そして今、その“夢のような”不可能図形も、“理論的に破綻なく”CGで処理できる道具立てが揃いつつある――
それが“meschers”の最大の意義ではないでしょうか。
この記事の核心は、「不可能を記述するメッシュは可能だ」「しかも、その上で本格的な解析もできる」
すなわち “impossible is possible” という逆説にあります。
今後、例えばプロダクトデザイン、錯覚アニメーション、更には認知科学や脳神経科学の探究など、
多様な分野でこのアプローチがどんな波紋を広げていくか。
その答えは“meschers”から始まる新たな物語の中にあるのかもしれません。
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